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大好きなネイルで気分はアガるけれど消耗しちゃう|消耗しない働き方

 2015年の9月から現在(2021年10月)まで、6年もの間ジェルネイルをしています。つやつやした爪にラメやお花や石を施したアレです。
 ネイリストさんとも長いおつきあいとなり、今では月1回通うネイルサロンが唯一、おしゃべりの時間、くつろぎの時間だったりもします。

 大好きなジェルネイル、誰に見せるためでもなく気分がアガるから好きなのに、隠しちゃってました。かつて。

 会社のルールやビジネスマナーを考えると、気分はアガるはずなのに消耗しちゃうんだよね、って思ったときのことを書いています。取りとめなく長くなりました。
(2022年11月22日加筆・修正しました)

■ジェルネイルの歴史をひもといてみいた

 現在、広まっているソフトジェルネイルが日本に上陸したのは2002年でした。それまでのハードジェルに比べて長持ちするし爪を傷つけないことが特徴です。ソフトジェルネイルが上陸してからネイル市場は爆発的に広がったそうです。

 そんな歴史とあいまって、40歳を過ぎた私は爆発的に広がったネイル市場に乗っかりジェルネイルを楽しむようになりました。きっかけは宝塚歌劇団のディナーショー(ミュージック・パフォーマンス「Wonder of Love」なる舞台)でした。この話は長くなる(おまけに論点ずれすぎる)ので略。

■新しい文化にマナーが追い付いてこない

 ソフトジェルネイル以前のネイルは、長く尖った爪に大きめの石や思い切ったデザインを施すハードジェルやスカルプチュアといった技術が主でした(と思います)。丈夫なので大胆に加工できる、簡単に除去できないという特徴がありました。流行した時代の影響もあり派手で強いネイルのイメージがありました。

 ソフトジェルネイルは、淡いピンクやベージュといった手になじむ色やちょっとキラキラさせる、ちょっとアレンジするデザインも豊富です。器用な人なら自分で施術もできます。道具は手軽に揃えられます。
 爪の裏、指先までしっかりと洗って清潔は保てるし、食器洗いもできる。お米だって研げます。

 ところが、20年前から広がった文化なので、基準は決まっていません。爪の装飾に何の興味もない人なら、ネイルに種類があることを知らないでしょう。「ネイルイコール派手」や「不潔」というイメージがあるかもしれません。
 「マニキュアは可、ネイルはダメ」という基準の会社があると聞きます。見た目や衛生面ではマニキュアとネイルの違いはなくなっているのに基準は変わっていないこともあります。

 「地爪の様子や爪に透ける肌の血色で健康観察をしているのでネイル禁止」というのなら理解できるのですが。理由がはっきりしない基準を受け入れていることってないでしょうか。文化が変わったんだから基準も見直したらいいのにね。

■ネイルを隠す方法を必死に編み出していた

 ジェルネイルを禁止もしていないし、ルールを明記していない職場もちょっとやっかい。自分で基準を探っていくしかないのです。
 ネイルを始めた頃に働いていた市役所の窓口の仕事がそうでした。ルールやマナーが決められていないから、自分で基準を探っていました。

 周りの反応を見つつ、手の甲の色となじむ淡いピンクやベージュの単色やグラデーションのネイルデザインから初めました。薬指や小指にラインストーンを載せたりラメを施してもらった爪で窓口に立つときは、カウンター越しにお客様の目に入らないようにデザインが乗った指を折り曲げて手のひらで隠します。

 不思議なものでネイルは徐々にエスカレートします。ちょっと派手めのデザイン(バレンタインにちなんだ赤のホログラムのハートデザインをやっちゃった)や目立つ色(一番のチャレンジはアーミーグリーン)を試すようになります。1本の指だけなら絆創膏を巻いて過ごすと何の問題もありません。派手なデザインが目に付くよりも絆創膏が目立つ方がマシと思ってたんです。

 絆創膏をしないときや、特に目に付く親指や人差し指をきれいにしてしまった場合はこうです。

 お客様の視線が爪に止まったな、と思ったタイミングで言います。「この前、友達の結婚式に行ってきたんです」って。(キラキラなきれい目デザインに限る)

■デキるタイピストのイメージでサクサク仕上げる

 なぜ、ネイルを続けるか、って理由ははっきりしてます。それは、「自分でいつも見えるから」です。パソコンを打つときもカウンターで書類を受け取り差し出すときも爪のデザインは自分の目に入ります。

 きれいな発色やラインストーンが乗った爪がキーボードを叩きます。カチカチカチ。まるで映画の中の優秀なタイピストになった気分。堅苦しいワードが並ぶ書類もサクサク仕上がります。だって私は優秀なタイピストなんですもの。なり切ったら仕事がはかどるんです。

■はかどったらいいんじゃない、と思う反面

 直接、注意されたことはありません。でも、この色だったら注意されないかな、と上司や先輩の様子を見ます。ビジネスマナー、みだしなみってそういうもん、なんでしょうか。

 基準があったら判断は楽かもしれません。が、厳しい基準で制限されるのは嫌。様子を見るのは疲れるけれど制限されたくない、わがままですね。

■ネイルのデザインを選ぶ基準はどこにある

 ネイルのデザインを選ぶときには、自分が好きなデザインと選ぶというより周囲からどう見られたいのか、が基準になっています。
 仕事にふさわしいか、所属する組織にふさわしいか、という基準です。
 他人に見せるためにネイルを施しているわけではないのに。優秀なビジネスパーソンになりきるために毎月ネイルサロンに通ってるのに。

 ここで気づきます。誰に決められたわけではないんです。自分で決めたんです。周囲に見られている自分を意識して自分で決めた基準でネイルデザインを選んでいるのです。なのに、押し付けられた基準だと思ってしまう。自分で決めたのに決めさせられた気がする。

■「私の爪は私が決める」出口を目指す

 誰かに注意されたり強制されたのではないのに、自分で自分に窮屈な思いをさせていたことに気付きます。私が私の中に基準の枠を設けているのに、仕事の相応しさ、とか、人からの見られ方、という自分ではないものに縛られていると思ってるんですね。

 自分で集めた判断材料で自分で決めた、ってことを認めてあげられない、尊重できない、納得がいってない。だからなんだか消耗する。

 「私の爪は私が決める」そう思うこと、私が私の爪を決めたという意思決定を大切にできることが消耗の出口かもしれません。
 今月の気分は「ハート」と決めたら、左手薬指の爪にキラキラちらつく真っ赤なホログラムを施して、両手指をしっかり広げて背筋を伸ばしてカウンターに向かう。堂々とした立ち姿の私が出口にいる。

 出口の私の姿にようにいつも背筋を伸ばして立てるようになったら、消耗しないで働けるのかしら。消耗しない働き方を考えるシリーズ。先はまだ長そうです。


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