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「旅する営業マン」は北海道が好き。①

「旅する営業マン」は鉄道好きの少年でした。

電車に乗るのは勿論の事、時間があれば家で鉄道に関する本をよく見ていました。鉄道の世界では有名な宮脇俊三さんの本を繰り返し読んでいた覚えがあります。

鉄道好きな自分がよくやっていたのは「空想旅行」。

時刻表を見ながら旅行をしたつもりになって、電車を乗り継ぎながら目的地に向かうというもの。ワクワクしながら目を輝かせて時刻表を見ているちょっとヤバい少年でした。

その中でも目的地にしていた場所ダントツNo.1は北海道でした(稚内駅や根室駅などの終着駅が多かったです)。

その当時、鉄道を使って新潟から北海道に行く手段となると、青森と函館を結ぶ「青函連絡船」に乗るのですが、空想旅行に幾度となく登場しました。確か、夜中に青森港を出発して早朝に函館港に到着するパターンが多かったと思います(実際に乗る事なく、廃止になったのですが…)。函館から再び電車に乗り、海沿いを行ったり広大な大自然の真ん中を一直線に行ったりして、少し田舎にある終着駅まで行く…というプランがお決まりでした。

空想の世界ではありましたが、その頃から北海道に魅力を感じていたのだと思います。

時は過ぎて20代前半。仕事を辞めて、職業訓練校で勉強をしていた時にふと昔の事を思い出し、夏休みを利用して当時乗っていた赤いシビックを連れて、新潟港からフェリーに乗って小樽港に向かいました。

ようやく、空想の世界ではなく正真正銘、現実世界での北海道デビューとなりました。

ちなみに、赤いシビックは学生時代にバイトしていた会社の先輩が乗っていて、一目惚れしてしまいました(ホンダ社製の車です。車に関しては詳しくないのですが、今は製造中止のようです)。

小樽港に上陸するなり、最北の地を目指して運転した記憶があります。その当時は「日本の一番北に行きたい!」という考えしかなかったです。とても、単純な頭の持ち主でした・・・

途中、すれ違うバイクの方々と合図を送り合った事を今でも覚えています。

そして、最北の地、宗谷岬に到着。

しかし、どんよりとした曇り空で強風が吹き荒れており、写真撮影もままならなかった思い出があります。

「日本の一番北に行きたい!」という目的を果たした後は、ナビを見ながら…と言いたいところですが、その当時はまだまだ普及していなかったので、助手席にガイドブックを置きながら旭川→富良野→帯広と巡りました。

今、考えると鉄道好きで度々「空想旅行」していたのに、電車に乗ったり、鉄道にまつわるような場所(駅や廃線跡、撮り鉄がよく集まるような撮影ポイント)には全く行きませんでした。

この旅を終え、訓練校を卒業した後に就職した会社で営業マンとして働き始めました。それからしばらくは北海道に行く事もなく、新潟県内を忙しく駆け回る日々が続きました。

(つづく)

最後まで読んで頂きまして、感謝致します。

次回の投稿も、良かったら覗いてみて下さい。

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