第三章 高校編 おいでやす京都〜挫折と我慢〜
みなさんいかがお過ごしでしょうか
お久しぶりです
やっと中学編を卒業して、高校編が書けます。
これ書く気になるのはいつも唐突です。
と、下書きに保存されていました。
自分で設定したは良いけれど、書くのが結構大変ですという弱音は置いておいて、本題にいきます。
(社会人の皆さんはこんな長ったらしい文章書くと怒られるので気をつけましょう)
これまで1章を2つに分けたりしてたんですが
出来るだけ1つにまとめていきます。
早くこのこれまでの経験とかは書き終えて
なんでもない文章を書きたいです。
書かせてください。
はーい、いきます。
高校から生まれ故郷の神奈川を離れ、京都へ行きました。(唐突)
当時、NFLでプレーしたい!と思っていたので
僕の第一希望としてはアメリカの高校でした。
そのためにアメリカのサマーキャンプ等参加し、現場のレベル感も確かめていました。
まぁ、実際そんなにトントン拍子で進む程、世の中甘くなくて
日本の高校でプレーすることになりました。
あと沸く疑問としては
関東にも日大三高、佼成学園、法政ニ高
いっぱい強い学校あるのに、なんで宇治?
ですよね
アメリカの高校に行けないから、次に目指すのはアメリカの大学。
そうなってくると英語教育に力を入れている学校が必要でした。
立命館宇治は全ての授業を英語で受けるクラスや1年間留学ができるクラス、普通科でも修学旅行は約3週間海外でホストファミリーの家に住む等、とても良い環境でした。
しかもアメフトもそこそこ強くて、頭の良い学校なわりに、アメフト推薦があったという、なんとも好条件な学校でした。
というわけで、フロンティアーズのコネも存分に使い、アメフトの推薦で普通科に入学しました。
(いやもお前あんだけ「全ての授業を英語で受けるクラス」がどうとか言うてたのに普通科なんかいな)
本題の本題
挫折と我慢の方いきます。
入学当初は、同世代よりも絶対うまい自信があったし、なんなら日本一なってるし、高1の春のシーズンから試合も出させてもらっていて
すんごいイージーゲームやん‼️
て思ってたんです。
が
僕、高1の冬? 確かそう
ぐらいに第五中足骨を骨折しました。
足の甲の外側と言えばわかりやすいでしょうか。
しかも両足。
タイミングは一緒じゃないですが、右折れてから左折れたんかな?
最初病院に行った時に、医者からは
自然治癒で大丈夫です
って言われたのでその通り、自然治癒で治して復帰しました。多分復帰にかかったのが両足含め半年ぐらい?
そしたらまた同じところを骨折して
大きい病院で診てもらったところ
これ、すぐ手術せなあかんやつやで
と言われ、即入院、即手術しました。
結局、高2の1年間は怪我に悩まされました。
高3になり復帰もして、ようやく試合にも出れると思いましたが、思うように体は動かず
色んなポジョンを転々としていました。
俗に言う干されるってやつです。
コーチからの信用も、プレイヤーとしての実力もなく、感覚的には生まれ変わって悪い人生を歩んでいる気分でした。
そんなん言うても、次の日足が速くなるわけではたいし、フィジカルが強くなるわけでもない。
受け入れて、我慢して、毎日1%積み上げるしかなかったです。
結果的にWR(パスを取るポジション)で入学した僕は、RB(ボールを持って走るポジション)になりました。
高校最後の年は怪我もなく、少し信頼もされる様になってきて、ローテーションで試合にも出ることができました。
そんなこんなで、関西大会決勝まで勝ち進んで、関西学院に決勝で負けて引退。
というのが、僕の高校3年間でした。
後々、就活でエントリーシート書くことになるんですけど、基本的にどの会社もこの3年間のことを詳しく書くと受かりました笑
ということで長くなりましたが、これが僕の高校時代です。
中学最後日本一になったところからは、大分落ちぶれたんですが、
逆にこの時期がなければ今の僕はないです。
僕はこの時期も含め、辛かった時期に感謝しています。
こういう苦難を乗り越えたからこそ
掴めるものがあると思います。
それが自分の欲しかったものではなくても、苦労して得たものの価値はとてつもなく大きいです。
自分にしか経験できなかったことだと、プラスに捉えて今後の可能性の為に貯めておく。そして、活かしていく。
高校生の僕にはそこまでわからなかったですが
25年生きてきて、ようやっとそういうことが理解できる歳になってきました。
なんか最後の最後すごいええこと言うたんちゃいますのん?てことで、高校生編は終わりにしようと思います。
次は大学生編ですのでお楽しみに。
最後まで読んでいたただきありがとうございました
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