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さいご。わたしたちは知らないうちに誰かを救っている⑤



土屋肇 教員(25歳)

物心がついたときから、世界に違和感に近いものを感じていた。

子どもも大人も自分自身を窮屈な枠に当てはめて、日々を苦しみながら生きているのではないか。

3歳、世界の広さをこの手でこの目でこの耳で確認したくて、手に靴をはめて、世界と言う大海に踏み出す決断をした。(出航して、5分で捕らえられたが。)

7歳、小学校に転校生がやってきた。都会から来たという彼女は、登校してから帰るまで、朝から晩まで大声で泣いていた。しばらくすると、持ち前の行動力、優しさで彼女はクラスの中心になった。

僕が彼女の立場であったら、彼女のような行動ができるだろうか。いやできない。

自分の知らない世界から一人、こちらの世界にやってきた彼女に僕は密かに憧れていた。

12歳、一番上の兄に話をしたいと、兄の担任が家に押しかけてきた。

「大吉くん、修学旅行に行かないのか?行こうよ。」

兄は昔から、自分の世界を持っていた。

自分の心が向かないことに対して、「嫌」と言える兄を密かに尊敬していた。(修学旅行に行かないという選択肢が出てくる世界観があるんだと驚いたことを憶えている。本人にはもっと複雑な事情、人間関係、嫌がらせがあったのかもしれないが。)

大人に対して、自分の気持ちを伝える兄をみて、自分の生き方を改めたいと思った。

だけど、今現在の兄は、自分の心に嘘をついて心をすり減らしながら働いている気がする。(それが働くってことだ。それが大人になるってことだ。と言われればそこまでだが。)

そんな兄が前向きに働ける場をつくることが、僕が兄に出来る唯一の恩返しかもしれないと思う。

19歳の365日、僕は予備校にいくため、毎日6時と21時に父に送り迎えをしてもらっていた。

予備校代数百万を払ってくれた母、送り迎えを毎日してくれた父。

これまでの人生も彼ら二人の支え、なんなら彼らがいなければ自分は存在していない。

浪人時代に何気なしに、父と母の昔を調べてみた。

すると、父はサラリーマンの前は自営業で商売をしていたらしい。

母は保育士の免許をとって、保育士を目指していたらしい。

二人がやっていたことを自分もやりたい、そして、その姿を二人に見せることで、二人の人生になにかきっかけを与えられるかもしれないと思い、ふたつを実現しようと決意。

20歳、緑音さんと出会う。

緑音さんを追っかけて、大学に入ると、まさかの緑音さん二人目。

そして、今現在に至る。

改めて自分の自信は間違っていなかった。

「僕は見る目だけはある」

#創作大賞2024 #エッセイ部門
#第5話 #僕は見る目だけはある

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