天売・焼尻メモ(未完)
(途中まで書いて1年半くらい経ってしまって、もう続きが思い出せないので途中だけど供養します)
2023年5月某日、日本海に浮かぶ海鳥の楽園、羽幌町天売島・焼尻島へ行ってきた。
旅程:
①とままえ温泉風W725=(沿岸バス)=746本社ターミナル-(徒歩約10分)-羽幌港830〜(羽幌沿海フェリー)〜930焼尻港1510〜(羽幌沿海フェリー)〜1535天売港
②天売港1030〜(羽幌沿海フェリー)〜1210羽幌港
いざ焼尻港へ
苫前の道の駅に前泊して、朝のバスで羽幌へ向かう。朝のちょうどよい時間、そして平日なので、バスはそこそこ高校生などでにぎわっているだろうと思っていると、やって来たバスの先客は皆無に近かった。もう一つ後の便で向かうものなのだろうか。寂しい車内から寂寥とした景色をしばし眺めつつ、苫前の道の駅から20分ほどで年季の入った沿岸バス本社ターミナルへ到着する。ここから歩いて10分強、真新しい建物と既に出発を待ち構えるフェリーが見える。焼尻島・天売島両島と羽幌港を結ぶ羽幌沿海フェリーのおろろん2という船だ。
想像してもいなかったが、待合室を兼ねる切符窓口の前には行列ができていた。何も記入しないままの学割証を窓口に突き出すと、手際よく焼尻港までの2割引の乗船券が発券された。少しして乗船が開始されたので、乗船口と同じ階の2等へ入って出港を待っていると、10人ほどの客でその階の座敷はほとんど埋まってしまった。
定刻に動き出した船は日本海を寡黙に進む。1時間後、焼尻港で降りたのは観光客4、5人とスーツ姿の男性3人組のみであった。
焼尻島
自転車を借りて、5時間の焼尻観光へ繰り出す。まず、工兵街道記念碑というところへやってきた。どうやら東浜と西浦、2つの集落を結ぶ道の完成に関する石碑らしい。その石碑の背後に広がる、大海原の絶景にしばし浸る。ちょっと満足する。いつもだったらここで次へ進むが、今回は敢えてまだここにいて景色を楽しむことにした。実はこの旅行の目的の一つは、「究極に暇になること」だった。そのために泊まりが必須のこの閑散期と思われる時期に一人でこの島へやって来たのだった(実際には閑散期ではないと後に判明するが)。自分の周りを春らしく虫が飛び交う。視線を遠くへやれば鳥が戯れ、鋭く落ち込む崖の下のわずかな浅瀬はえもいわれぬ色に光っている。遠くに天売島が見える。あとは青空と海原だけだった。ある意味何もないけれど、求めるすべてがある。いつまでもここにいられると思ったけれど、他の観光客がやって来たので、ここで私はこの絶景を譲って先へ進むことにした。
モデルコースは、ここで焼尻島を一周する道道を外れて丘の上の集落を進む。ずいぶん昔に無住となったらしい建物が目立つ細い道を進むと、右手に羽幌町役場の焼尻支所の建物があって、この建物のすぐ横に、暑寒別天売焼尻国定公園の保護林への入り口がある。役場の裏に原生林がある光景はいささか不思議な組み合わせだった。
森の中へ入っていくと、道はおおむね自転車が通れる程度に整備されていて進みやすい。森の中は絶えず鳥のさえずりが聞こえ、また適度に日の光の差し込む気持ちの良い空間で、自転車を推したりゆっくり漕いだりしながら、できるだけゆっくり、静かに森の中に溶け込むように散策を楽しんだ。それも束の間、10分20分ほどの散策で森を抜けて、視界は一気に広がる。森を抜けた先は綿羊の牧草地で、道の北側は特に遮るもののない展望である。
もともとここも原生林に覆われていた場所であるが、乱伐によってこのように裸になり、昭和30年代のニシン不漁を契機とした新しい産業育成の試みとして、綿羊の草をはむ場として生まれ変わった、という経緯がある。若く青い草原の中、一直線の道を自転車で進む。この瞬間ほど心地よいものはない。時々立ち止まって写真を撮ると、風と鳥の囀りだけが聞こえる。そんな幸せをかみしめながら進むと、そのうち島の西端、鷹の巣園地にたどり着く。天売島がすぐそこに見える絶好のロケーションである。先客の同じく一人で島にやって来た旅行者と、しばし会話を交わす。どうやら、もう少し先だと思っていたウトウの帰巣の見ごろが、丁度今当たりだということだった。どうしてあんなにフェリーの待合室が混んでいるのかと思っていたのだが、そういう事だったらしい。北海道がもはや趣味というその方と、先人の労苦へ思いを馳せつつ果ての景色を楽しんだ。
島の南側は、鷹の巣園地からほぼ一方的に急な下り坂となっていて、ところどころに鳥を観察するスポットがある。目の前に広がるダイナミックな高低差に心が躍ってしまう。残念ながら、私には鳥の知識も、双眼鏡もなかったので、バードウオッチングを十分に楽しむことはできないが、それ抜きにしても素晴らしい景色が続いていた。自転車で頑張って上り坂を漕いだ苦労がこうして明確に報われるのは相変わらずクセになる。キャンプ場や羊たち、そして真っ白な灯台を見ながら、あっという間に集落まで下りきってしまう。
集落の南のあたりに、焼尻島郷土資料館というのがある。これは、小納家という、ここで雑貨商などで財を成した一家の貴重な和洋折衷の家を資料館にしたもので、郵便局などとしても使われたことのあるまさに焼尻島の歴史の目撃者である。時刻は12時過ぎ、集落まで下ってきてまだ天売行きの船まで3時間もあるので、じっくりと中を拝見させてもらった。当時ニシン漁に使われた船や道具、豪商らしい書画の数々、そしてとても珍しいものに、来客用の便所にこさえた九谷焼の便器など、見ごたえは十分だった。郵便局時代の電報や電話交換機、また天売焼尻の古地図など貴重な展示も多い。自分一人で貸し切って隅々まで楽しんだ。
入館の時に、「お昼は食べましたか」と聞かれたのでまだ食べていないというと、お昼を食べられる店がこの近くに一つあるという事を教えてくれたので、そこへ行ってみることにした。旅館の横の急な上り坂をやっとの思いで登りきったところに、Closedの看板を掲げた家がある。入ってみると、ちょうど通りかかったオーナーの女性と目が合って、そして申し訳なさそうに「今満席なんです」とたくさん並んだ玄関の靴に視線を向けながら言われてしまった。
しかたないので、一旦坂を又降りて、もう一度工兵街道の碑のところへ行って、景色を楽しむことにした。西浦の集落へは、ここから急な下り坂。そしてそこから西の端、鷹の巣園地へは急な上り坂。この集落へは敢えていかずに、港へ引き返して先に自転車を返してしまった。自転車を返してしまって身軽になってみて、そういえばあのカフェへの上り坂の入り口には商店があったな、と思い出して、そこへ寄ってみる。おばあちゃんが奥から出てきてくれた。カップ麺と飲み物を買う。パンやおにぎりなど即席のものはこのお店にはどうやらほとんど置いていないようだった。ある程度時間をつぶしたというところでまたあの店へ向かってみると、窓際へいた先客がちょうど帰るところだった。港で見たスーツ姿の3人組だ。入ってみると、今度は中へ入れてくれたが、先に来ていた夫婦に奥のまだ片付け切らないテーブルへ移動していただいて自分を入れてくれたので、申し訳ない気持ちになった。入ってみて気づいたが、テーブルは2つしかない。2組で満室になってしまう店のようだった。棚には本や図録のようなもの、そしていかにもレトロな良い趣味の小物がたくさん並べられていて、不思議だけど居心地が良い。オーナーの方は気さくな女性で、私や、直前に入った観光客夫婦と軽快にコミュニケーションを交わしてくれる。メニューは主にカレーとパスタ、おなかがすいていたのでカレーをお願いすると、通りがかるたび話しかけてきながら、料理の準備をしてくれる。もともと関東に住んでいたが、喧騒を避けて移住してきたとのことだった。
しばらくして出てきたカレーは、野菜がゴロゴロ入っていてとても美味しかった。オーナーと他のお客さんと、しばし会話を楽しんで店を後にする。
まだ出港まで時間があったので、再度原生林を散策する。島の南側にはオンコ、あるいはイチイの木が茂っているが、これはあまりの強風に高く成長することが出来ず、低く横に広く育っているのが特徴的で何とも奇妙な光景である。
しばらく歩き回って港の待合所に戻ると、先ほど鷹の巣園地で出会った旅行者と再会した。どうやら同じ船で天売に渡るらしい。待合室では猫が寛いでいた。
船がやってきて、おそらく焼尻に泊まるのであろう旅行者が幾人か降りてくる。代わりに数人の旅行者が船に乗り込む。乗船時間は30分ほどで、あっという間に天売の港だ。港では宿泊予定のゲストハウスの主人が迎えてくれた。
天売島
天売でもレンタルサイクルを借りた。さっきの旅行者は原付を借りたようだし、自転車屋のお母さんにも自転車は大変だよと言われたが、ただの自転車を借りることにした。
天売は焼尻よりもダイナミックな風景が広がる島である。高低差が激しく木の生えていない裸の原野と、切り立った崖はまさに荒涼とした地の果てである。島を一周する道路は集落を出ると急な上り坂で一気に高度を稼ぎ、崖の上の丘陵地に案内してくれる。ところどころに設けられた展望台から曇天の風景を望めば、焼尻の平和な海とは打って変わった、寂寞な風景に心奪われる。道路も簡易的なコンクリートの舗装、湿原の中の遊歩道くらいの心もとなさで私は今更自然にお邪魔しているということを理解させられていたのだった。しばらく坂を上ると、遠くまで視界が広がる。