決まりきった人生を感じるとき
運命論、決定論の根拠
人生が糞と思える瞬間を具体例として挙げていくのと並行して、私が人生に決まりきった感を感じる理由をお話ししようと思う。
それは、人生においては、「苦」と「楽」のバランスがある割合になるように見えない所で調整されているというものだ。
ある割合といっても、苦の状況が圧倒的に多いのであるが・・。
ちなみに、ここで言う、「苦」とは文字通り苦しいとか辛い、嫌だと感じる状況である。
そして、「楽」とは単に楽しているという意味ではなく、何か上手くいっているとか物事がスムーズに運んでいるといったプラスの出来事全般を指す。
個々の苦楽のバランスは調整される
人生苦もあれば楽ありという言葉があるが、それは自然とそうなるのではない。
苦と楽の出来事の発生は完全に見えない力によって調整されている、いわばわざとらしくとも取れるくらい分かりやすく起こる、というのが私の率直な意見だ。
なぜ自然ではなく、わざとと捉えるかというと論理的には説明できない事でも、その論理を超えて強制的に苦の状況を味わされている感が否めないからである。
例えば、私は幼少期から虫歯が多かったので、人一倍デンタルケアには気を使っている。毎日食後3回の歯磨きと一日1回のフロス、デンタルブラシは欠かせない。また、歯科医にも3か月~半年に一度は虫歯がなくても定期的に通っている。また、普段はおやつは食べず、糖分はほとんど取らない。
しかし、例えば苦の状況として歯痛を味わせてくる場合は、私が歯の健康にどんなに気を使ってようがそれはやってくる。まさに私が楽の体験をした直後に・・・。このタイミングがポイントで、歯痛以外の苦の体験をしているときは絶対に歯痛は起きない。楽体験をする前後に必ずそれはやってくる。
「楽」体験が起こってもすぐに出鼻をくじかれる
もう一つの例を挙げると、アパートの生活音だ。私は、以前はアパートの隣から聞こえてくる生活音がかなり気になっていたが、最近は比較的音をスルー出来るようになってきた。自分の心の持ちようによって音をコントロールできるようになったのだ。
ところが、それができるようになった途端、今度は隣から深夜のどんちゃん騒ぎだ。近くの中国人も深夜までうるさい笑い声を響かせて来るようになった。普通の生活音程度なら気にならなくなった矢先のことだ。
今まで、深夜まで騒がれることは一度もなかったし、中国人も深夜まで大声を出すことはなかった。それがここに来てこのタイミングで、だ。
明らかに不自然なことの運び方にうんざりした。一般的に見ても賃貸アパートで人を呼んで深夜までバカ騒ぎするのはやってはいけない行為だろう。
しかし、苦楽のバランスをわざとらしくとってくる決定論の前では、やってはいけないとか禁止行為などという常識は通じず、本人が苦と感じることは強制的に味わせてくる。
この苦楽のバランスを強制的に調整されるのは例を挙げれば枚挙にいとまがない。例えば、お金の収支バランスなんかもそうだ。増える見込みの出来事がある前後には必ずと言っていいほど、苦の状況が起こる。
そして、苦の状況は延々と続くのに楽状況は一瞬で終わらされてしまう。
やがてこころが消耗していく
人間にとって一番精神的に苦しい罰は何か。それは、地面に大きな穴を掘らせる罰である。それだけではない。次は、その掘った穴を埋めさせて、さらに次はその埋めた穴を掘らせる。いわば、結果として0の無意味なことを延々とやらせるのが精神的にもっとも応えるのだ。
言い換えると、これは決定された人生観とも通じる。つまり、どんなに頑張ろうが努力しようが、楽の状態は続かない。強制的に苦に落とされる。決して、自分でその決められた苦楽バランスのループを抜け出すことができない。そして、人生は苦の状態が圧倒的に大部分を占める。
そういう無力感がやがてこころを消耗させていく。一般に人生に絶望したとか、死にたいと思う人は自分ではどうしようもない所で物事が動いていく無力感からそうなるのだろうと思う。
こういうわざとらしい人生が私が人生が一番糞だと感じるところだ。
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