資格の勉強
これまで、自分は勉強に多大な時間を費やしてきた。
10代の頃は大学受験、20代になると公務員試験、30代では英語、40代ではITとか何とか、今も勉強を続けている。このように勉強といってもその時によってやっている内容は違っている。これが、10代から同じことにずっと取り組んでいたら今頃はそれで飯を食えるほどのエキスパートに慣れてただろうなと思う。
ところが、特別飽きっぽいわけではないと思うがある時間が経過するとどうしても脳が拒絶反応を示して、それ以上そのテーマで努力し続ける気が全く起きなくなるのだ。とても困った性分である。
資格試験でも途中で飽きてしまう
例えば、英語だと英検1級を取って30代で翻訳学校に通い、卒業したがそれっきりだ。本来ならばTQEという翻訳者の登竜門となる資格を目指すのが翻訳者になるルートであったが、自分は翻訳学校に通うだけで、もうお腹いっぱいいっぱいになってしまった。(この場合は、講師のおばさんがとても嫌な人だったというのが大きいが・・・。)
あとはITでも基本情報技術者という資格をとり、応用情報技術者という上位資格も受験した。しかし、8点ほど足りず不合格になり、そのご独学でプログラミングをやったりして暫くは学び続けたが途中でどうしようもなく続けるのが嫌になり辞めてしまった。
他には、中国語。中国人の個人教師にマンツーマンで1年程ならっていたが、コロナや退職を機に金銭的にも継続が難しくなり途中でやめた。(まあ、これは飽きっぽいというのはちょっと違うかもしれない。)ただ、コロナが終わってもまた中国語をやってみたいとは思わない。
次は歴史。日本史検定1級という資格を目指して勉強していたが、あと2点足りずに不合格。しかし、もう一度挑戦しようという気も起きずに途中でやめてしまった。あとは江戸文化歴史検定2級という資格も取って、一時は気ままに各地の名所を訪れる旅などして、少し歴史にはまってみたりもしたけどやがて熱が冷めてしまった。
まだまだ上げればきりがない。将棋。私は将棋アマ5段で、大会でも何度が優勝したことがあるほどだが、熱が冷めてからは他人が指しているのを見るのも嫌になった。
継続できない呪いにかかっているのかもしれない
努力を続けるのも才能、と言われるがそうかもしれない。
この続ける、というのがどれくらい続けることなのかというと、プロとして飯を食えるレベルまで続けることだ。お金を稼げないうちはどんなに極めても所詮趣味に過ぎない。
この点最近考えが変わった。将来こうやって今やっていることをお金に結び付ける。それを逆算して努力を始める。
そして、初心を忘れず、極端に飛躍した目標は立てない。一つ一つスモールステップをクリアしていって、最終的に目指す所に辿り着くのが自分にあった努力の仕方なのではないかと思っている。
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