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陸から離れて、随分進んでしまった今の世の中

 この世は進む方向を間違えてしまった、とそう思うことがある。
 そう思う前提に、我々が日々を送っているこの世界は、あくまで枝分かれした世界の分岐の一つであるという考え方がある。いわゆるパラレルワールド(※)というものだ。ボタンの掛け違いという言葉があるが、それをもっと次元の大きな話にしたものだ。

 ある時から、世界は少しずつ、表面的には豊かであるが、多くの構成員にとってはどこか居心地が悪いようなそんな方向へと舵を切って進んで、そして枝分かれする前からずいぶん離れた所まで来てしまったような、そんな危うさを感じることがある。
※ ある世界から分岐し、それに並行して存在する別世界のこと。
 
 いくつか例を挙げてみる。
 
 まず、冷夏なんてものとは全く無縁の猛烈な暑さに見舞われる夏。それが近年では当たり前のようになってしまった。しかし、考えてみると異常だ。
 以前は、熱中症なんて言葉は聞いたことがなかった。私の実感としては、30年程前までは真夏でも最高で32度とか33度辺りが暑さのピークであった。
 熱中症で病院に運ばれた人や亡くなった人の数が、連日のようにニュース番組で報道されることも以前はなかった。
 これは、何も私の実感だけではなく実際の統計を見てもはっきり分かる。

東京の8月の平均気温が28度を超えた年の回数(気象庁HPより)

1970年~1979年 2回
1980年~1989年 1回
1990年~1999年 4回
2000年~2009年    4回
2010年~2019年 5回
2020年~ (既に2024年の時点で3回)   
 

 ちなみに、1969年以前も10年に1回ほどしか平均気温が28度を超えるような暑い年はなかった。このデータを見ると、暑い夏の割合が急に増えたのは1990年代以降であることがはっきりわかる。
 90年代以降は10年間というスパンで見た時に、約半分は平均気温が28度を超える暑い夏になっている。それは、一時的なものではなく、30年以上に渡って継続して現れている傾向なので、今後も同じようなパターンが続く可能性は大である。このようにデータを見ても、一昔前と比べて、近年の(特に90年代以降)の暑さは異常だということが見て取れる。

90年代以降は世の中が停滞モードだった。

 温暖化の問題だけではない。バブル崩壊後の日本は長期に渡るデフレの時代、言わば出口の見えないトンネルに入っていった。
 当時のニュースを思い出してみても、1990年~1991年にかけてバブル景気の終焉、1994年地下鉄サリン事件、1995年阪神淡路大震災、1997年のアジア通貨危機とニュースで取り上げられるのは暗い話題ばかりだった。私もいわゆる就職氷河期世代(※)の一人であるが、1990年代後半から2000年代前半には、大卒者の就職が極端に悪化した。
※ 主にバブル崩壊後の1993年から2005年に学校卒業・就職活動していた年代のこと

 また、1993年の山形マット死事件、1994年~1995年テレビドラマ「家なき子」の放映、など学校におけるいじめの問題が大きくクローズアップされるようになったのも90年代のことである。
 いじめの態様も、より陰湿なものへと多様化していった。

 また、90年代半ば以降流行ったノリのいいポップスも、まさに停滞した時代を象徴していた。当時は、長引く不況などで社会全体が重苦しい雰囲気であったので、明るく元気のある曲が求められたのだろう。
 しかし、音楽が根本的な解決になることなど当然なく、一時的な気休めに過ぎなかった。

 では、なぜ90年代以降社会全体がこうも暗く生きずらいものになっていってしまったのだろうか?デフレや不況もあくまで現れた事象の一つに過ぎない。それら、すべての事象を発生させた根本原因は何か、である。

なにがきっかけで世の中がおかしくなったか?

 それは、自分の私利私欲を満たすことしか考えられないような自己中心的な人間の存在だ。彼らの存在が、世の中全体の歯車を狂わせたそもそもの元凶なのだ。
 彼らが世の中に出て成功を収めてしまったことが、そもそもの間違いのはじまりであった。

 周囲の人を傷つけ、汚い手段を使ってのし上がり、社会に認められて成功を収めた人間を私は実際に知っている。(ちなみに、政治家ではない。)
 もちろん、彼がどういう汚いことをしてきたか、彼を支持して成功させた大勢の人たちは知らない。しかし、そういう悪い人間が現れ、社会に出て成功をおさめ、多くの人に影響力を及ぼすようになると社会全体が変わってしまうのだ。

 バタフライ理論(※)と言うものがある。
※ 例えば、「ブラジルで蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が起こる」ように一見なんの脈絡もない出来事の間に存在する因果関係のこと。

 たとえ一人の人間でも社会全体の方向性を変えてしまうということは十分に起こり得ることなのだ。
 つまり、強欲で私利私欲を肥やすことしか考えられない人間がいて、彼が成功して世の中に出て影響力を与える立場になることで、社会を構成する人々が感化され、少しずつおかしな方向に歪んでいく、ということだ。そして、社会全体がぎすぎすした居心地の悪いものになっていくのだ。
 一見すると物質的には豊かで何不自由ない生活に見えても、どこか息苦しい、生きづらい世の中になってしまうのはそのせいだ。

 90年代~00年代にかけて、世の中や地球環境が少しずつ良くない方向に進んでいったのも、長期に渡るデフレも、世の中全体の停滞モードも、すべて自己中心的な人間が、世の中に出て、彼らが成功を収めてしまったことがそもそもの事の発端であると私は考えている。

どうすれば世の中がまた元のようによくなるか?

 私はやはり、社会を構成する一人一人の人間の意思が社会全体の雰囲気というか空気感のようなものを形作っていくと思う。悪い人間が世に出て成功を収め影響力を持つようになれば、社会全体が彼らの負の力に引っ張られておかしな方向に進んでいくと思う。

 ミステリー作家の綾辻行人氏が書いたanotherという小説がある。
 あるクラスに死者が蘇って紛れ込んだため、その死者の負の力に引っ張られて、クラス全体が災厄に巻き込まれるという話である。災厄のある年には、毎月必ず1名以上のクラス関係者が命を落とす。
 この災厄を止める方法が、クラスに紛れ込んだ死者を殺す、要するに死者を死に還すということである。

 まあ、これは小説の中での話だが、現実世界でもあながち的外れなことではないような気もする。
 要するに、現実世界に紛れ込んだ、自分の私利私欲を満たすことしか考えられない輩、汚い方法で成り上がって居座り続けている輩がこの世から消滅すれば、やがて社会がもっと風通しがよく人々が生きやすい世の中になるのに違いない。

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