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トレーシーの成長/ミュージカル映画『ヘアスプレー』②
新しい時代に進むことは止められない
差別にNO
体型を否定することにNO
こんにちは!
本日はミュージカル映画『ヘアスプレー』の好きなところ第二弾を書いていきます。
前回の記事はこちら↓↓
主人公がスーパーハッピーでハイパーポジティブであることを書いてます。
さて、今回の記事ではこの映画の大きなテーマである人種差別のことを書いていきます(ここからが本番だぜベイビー)。
前回とはテーマの重みがガラッと変わるので驚かれる方もいるかもしれませんが、人種差別を抜きにしてはこの映画は語れません。
私は前回の記事を書きながらトレーシーのある行為が気になりました。
トレーシーはポジティブで大好きだけれど、この行為はおかしいんじゃないかと思い始めたのです。
下に詳細を書いていきます。
呑気なトレーシー?
私の疑問はトレーシーが「ホップ・パーティー」なるものに参加して番組の出演権を獲得するシーンから始まります。
私はこのシーンを見るといつも泣きそうになります。
それはトレーシーが持ち前の明るさとダンスの腕で夢を叶えたから、というのももちろんあるんですが、一番気になるのはシーウィードのことです。
会場に入ってきたトレーシーは目を輝かせつつも、場所がないし…とすぐには踊ろうとしません。
でもそんな時シーウィードを見つけます。
以前一緒に踊ったことのある黒人の男の子です。
トレーシーは踊りながら彼のところへ行き「ペイトンプレイスを」とリクエストするんですね。
ペイトンプレイスとははじめて会ったときに彼が踊っていて、「すっごくイカしてる」とトレーシーが誉めたダンスのステップです。
でも彼は「一緒には踊れない」「君が踊れよ」と言うんです。
喜んで踊り始めるトレーシーは自信に満ち溢れて魅力的で見ているこっちも楽しくなるくらいで、それは本当に素敵なんですけど…
このシーンで私はトレーシーが夢をつかめたのは白人だったからなんだと実感してしまいました。
シーウィードも「コーニー・コリンズ・ショー」に出ていますが、彼らは月に一回の「ブラック・デー」でしか踊れないのです。
肌の色が異なる人同士が一緒に踊ることも禁じられていて、両者はこのパーティーでも柵で区切られています。
ペイトンプレイスのような素敵なステップを踊れても月に一回しか出番がない彼と、すぐ認められて番組で何度も踊れるようになるトレーシー。
もちろん本人に素質があったからこそ彼女は認められたんですが、それでも番組に出られる頻度に差がありすぎます。
そして、場所がないと言って踊ろうとしなかったトレーシーがいきいきと踊り始めたのは、シーウィードに「君が踊れよ」と言われたことがきっかけなんです。
トレーシーにきっかけをくれたシーウィードよりもトレーシーの方が番組の出演回数が多くて、それはダンスの腕が彼の方が劣っているからとかではなくてただただ肌の色が違うからなんです。
それを思って私は泣きそうになってしまいます。
そしてこのあとが私の気になる部分です。
実際にトレーシーがペイトンプレイスを踊っているのかどうかが私にはよくわからなかったのですが(番組の初出演時に踊っている?)、
もしトレーシーがペイトンプレイスを踊っているなら…それは黒人音楽の辿った歴史をこの作品で再現していることにならないでしょうか…?
(つまり黒人のステップを白人が踊って持て囃されるけれど黒人が差別されている状況はそのまま変わらず白人だけが有名になる、といった流れです←詳しくないので間違っていたらすみません)
もちろんトレーシーはそれを意図していないと思うのですが、結果的にその構図になってしまっています…よね…? えっこれキツくない…? 意図してなかったらいいってものじゃないし…。
これは、良いことなのか…?
トレーシーが認められて番組に出られるからといって素直に喜んでいいことなのか、私には判断がつけられませんでした。
そして更に、別のシーンでシーウィードがパーティにトレーシーを招待したとき、
「黒人からのご招待よ!」と喜ぶ友人にトレーシーは「あたし ススんでる!」と言います。
この時代では黒人街に招待されて喜ぶ人は少なく、素直に喜ぶトレーシーが反差別的で友好的な態度だ、ということはわかるのですが…
現代では「ススんでる自分」を演出するためにマイノリティと付き合いたがる人がおり、それはまた別の形の差別である(自分をよく見せるための飾りとしてマイノリティを扱っている)と私は思っているため、トレーシーのセリフには正直ウッと思いました。
そうするとだんだんトレーシーはただ呑気に何も考えずシーウィードたちと付き合っているように見えてきます。
後のシーンのトレーシーを見て、私はおそらくその通り…彼女はよく考えずシーウィードたちと付き合っていたのだと解釈しました。
トレーシーが差別を実感するとき
ペイトンプレイスをトレーシーが踊っている(と思われる)シーンや「あたし ススんでる!」のシーンはどちらも映画の前半です。
後半に差し掛かる頃、「ブラック・デー」が廃止され黒人は番組に出られなくなることをトレーシーは知ります。
黒人と白人が一緒に踊れないことも彼女はそこではじめて知るのです。
それまでのトレーシーは「黒人を差別する人もいるけど私は違う」くらいの呑気な考え方をしていて、ここでようやく目の前にある差別を肌で実感したのではないでしょうか(理由は後述します)。
このあとトレーシーは「“差別は消える“なんて信じてたあたしがおめでたかったんだわ。“こうしたい“と本気で思ったら親の元から巣立って闘うべきなのね」と闘う意志を父親に吐露します。
(余談ですがそんなトレーシーに「ママとパパの世界は玄関のドアまで。だがお前ははるか先を見ている。(略)こっちがお前から学ぶよ」と言える父親は強いですよね。人として成熟していると思います)
翌朝、トレーシーはデモの集合場所を訪れます。「ブラック・デー」廃止に抗議するデモです。
このデモに参加すると番組を降ろされると忠告されますが、トレーシーは「シーウィードやアイネス(シーウィードの妹)と踊れればハッピーだわ。それで明日がよくなるなら」と答えるのです。
映画の冒頭で、「ダンスで認められたらやがては映画スター」とか歌ってた、トレーシーが、ですよ!!!
彼女は自分の夢よりも差別の撤廃を望むのです。
また、デモの末に追われる身となってしまったトレーシーは、友人に髪が潰れていることを指摘されます。しかし彼女は「いいの。流行なんかもう追わない」と答えるんです。
映画の冒頭でふっくら盛り上がった流行の髪型を誇り、先生に注意されても「じゃあどうすれば? ベタ〜ッと動物の死骸みたいなヘアーを?」とか言ってたトレーシーが、ですよ?!?!?!
先述の「呑気だったトレーシーは黒人街のパーティで差別をはじめて実感した」と私が考える理由はこれです。
呑気に「あたしススんでる」などと言っていたトレーシーが、パーティのシーン後では夢や流行よりも差別の撤廃を望むのです。
これがこの物語における主人公の成長なのだと思います。
そして私は、差別と闘う選択をするトレーシーが大好きです。
デモの場面で好きなところ
トレーシーが闘うために参加したデモですが、行進の最中先頭の女性がR&Bを歌います。私にはそのなかで印象に残っているシーンがあります。
女性が「1本の道がある あたしたちがたどった道」と歌うところです。
(黒人の人々の歴史を道にたとえた歌詞)
そこでは歌う女性の映像の上に、デモに加わって歩くたくさんの人々が重なってオーバーラップするのです。
その映像はまるで差別によって苦しんだたくさんの人々を表しているようで、心に込み上げるものがあります。
フィナーレ
さて、スーパーハッピーでハイパーポジティブなこの映画は、ラスト20分で怒涛のフィナーレを迎えます。
ここで使われている曲がまた良くて良くて…楽しくて力強い、元気になれる曲です。
前回の記事でも書きましたが、この映画は「古い考え方を捨てて新しい価値観に進もう」と歌で呼びかけます。
太った人を否定する価値観や人種差別は「古い過去」に属するものとして扱い、
“人と違ってる“身体をポジティブに受け入れること、そして差別をなくすことは新しい時代のものとして歌われるんですね。
それはこのフィナーレの曲でも共通しています。
この曲の始めではトレーシーが「雪崩は誰にも止められない」「季節の移り変わりも止めることはできない」と力強く歌います。
雪崩や季節の移り変わりを止められないのと同じように、新しい時代に進むことも止められないよと歌っているんです。
このように映画の中で反差別やボディポジティブが「止められないもの」として扱われることが私は嬉しいです。
なぜなら2020年代の今でも太っている人を卑下する考え方や人種差別が根強いと感じるときがあるからです。
そんなとき、本当に差別は無くなるのか、本当にボディポジティブの考え方は広がるのかわからなくなってしまいます。
でもこの映画でそれらが止まらないものとして描かれていることは希望です。
私たちの先にはよりよい未来があると信じる力が湧いてきます。
これがこの映画の好きなところです。
おわりに
ここまで読んでくださってありがとうございました。
ミュージカル映画『ヘアスプレー』の魅力をたくさん書けて楽しかったです!
この記事を書くにあたりいつもより丹念に映画を見ることで気付いた内容があり(トレーシーの成長)、それが映画の主要テーマと結びついた大事なことだったので書いてよかったなと思いました。
最後にこのことを書くのがタイミングとして適切かどうかわからないのですが、この映画にはけっこう異性愛至上主義みたいな価値観の歌があります。
それが苦手な方は受け付けないかなと思うので…そういう方は前半だけ見るといいかもしれません。前回の記事で挙げたトレーシーのポジティブエピソードは前半に集中しています。
また、人種差別って言われてもよくわからないピンとこないという方もいらっしゃるかもしれないので、私が読みやすいと思った人種差別の実話を描いた本を紹介して終わろうと思います。
『ある奴隷少女に起こった出来事』ハリエット・アン・ジェイコブズ
新潮文庫の本のあらすじ欄には自由をつかむため白人男性の子を身籠ることを決意したとか書いてあるんですが、私はそこよりも他の部分で「これが差別か…」と思いました。奴隷制度は人間を人間として扱っていないということはもちろん、その制度から自由である黒人に対しても訪れる理不尽。それが書いてあります。よかったら読んでみてください。