精神科医がみる殺戮の天使
元々、ホラーRPGゲームみたい。
内容は結構ダークです。かなり。
この作品は、狂気的殺人者のザックと女の子レイチェルが、次々とあらわれる快楽殺人者からの恐怖の中で心が変わっていくストーリー。
ザックは、すごく辛い家族背景があって、殺すターゲットは、日々を楽しみ死を怖がる人。レイチェルを殺さない理由は、楽しそうな目をしてなかったから。
はたから見たら、ただの殺人者なんだけど、本当は純粋で家族の幸せに誰よりも憧れてた、ただやり方も分からないし、殺すと言う単純な方法を知ってただけ。これは、他人の命の重さの以前に、自分の命の重さを感じられなかったことに起因しているのかなって思う。
幼い時に、人が殺され、埋められる姿を見ているから、人間は生きているか死ぬかの選択肢でしか見られなかった。生きる中での感情や生きることが他人に与える価値を知らなかった。
”命の重み”ってよくいうけれど、命に重量はない。この重みっていうのは、人から愛され、自分も愛して、マイナスの感情もプラスの感情もいろんな感情を人と接する中で感じて、その感情がどんどんツボに溜まっていくようなイメージかなって思っている。だから、にくいって感情しか知らなくて、さらに感情を出すタイミングすらなかったザックには命の重みはわからなかった。
一方、レイチェルは、「私、役に立ってる?」という質問を繰り返す。自分の存在価値は、人に役に立たないと意味がなくて、この物語で一番大きいことって、2人が「ただ、あなたが存在しているだけで嬉しい」という感情を初めて体験できたことだと思う。途中まで、レイチェルにとって、ザックは”神”であり、殺してくれる人じゃないといけなかった。お互いの需要と供給がないと人間関係は成り立たないと思っていた。でも、途中で気が付く。それはザックはザックであるということ。神でも殺人者でもなく、ザックはザック。ザックからしたら、レイチェルがありのままで受け入れてくれた。こんなことは初めて。お互いがお互いの存在意義は、何かをしてくれることではなく”ただ近くにいてくれること”だと感じた。これが、すごく大きなことだと感じました。そして、その過程には、レイチェルもザックも相手を助けるときに、”自分がやりたいからやる”という姿勢。これも大切。
どうしても、私たちは、”こんなにやってあげたのに!”となりがち。でも、この二人は命をかけてでも、”私が助けたいから助ける”なんですよね。
この気持ちこそが二人の信頼関係を作っていったんだろうと思います。
私はこの話、すごく好きでした。
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