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今思うと理想的!アメリカの家

こんにちは。
今日は久しぶり書きます、「私の生い立ち」を振り返るシリーズ。(前回の記事はこちら
今回は、私がアメリカ育った時にどんな家で暮らしていたかを書きたいと思います。

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私が小学校時代を過ごしたアメリカの家は、今思うととても理想的だった。
まず、住んでいたミシガン州ジャクソンという町は、小さな湖も近所にあるような、自然豊かで美しい場所。
その中でも、私たちはファミリーが近所にたくさん住んでいるような住宅街の広い庭付きの一軒家に住んでいた。

「庭付きの一軒家」って田舎では普通のことなのかもしれないけれど、私の地元名古屋では、生まれた時から手狭なマンション暮らしだったので、初めてアメリカで「ここに住むんだよ」と言われて家を見たときには、とても感動したことを覚えている。
家の前方、後方どちらもきれいな芝生に囲まれており、車が余裕で2台入るガレージの前方のみがコンクリートが敷かれ、バスケのゴールまで設置され、3on3 が余裕でできちゃうバスケットコートになっていた。

家の中も見ていこう。
防犯の目的で2重になっている家の扉を開けると、左側に広いダイニングがあり、ソファとテレビがおいてある。

その奥には、広いダイニングで4人家族には少し大きすぎるダイニングテーブルが設置されていた。その隣にあるのがキッチンスペースで、コンロは3口、バカでかい冷蔵庫と食洗器まである。

寝室は3つあり、両親が寝るためのダブルベッドがドーンと部屋の中心に置かれた部屋と、兄のためのベッドもカーテンも青色に統一された部屋。私の部屋は、落ち着いたピンク色を基調とした、女の子なら誰もが喜ぶようなかわいらしい部屋だった。どの部屋にも広いクローゼットがあり、隠れんぼをしたら、隠れる場所には全く困らなそう。

びっくりしたのは洗面所で、6畳くらいのだだっ広い部屋に、洗面台、トイレ、シャワールームがそれぞれかなり離れてある。トイレで用を足すにはなんだか落ち着かなそうだなと思った。

部屋はそれだけでなく、3ヵ月先に単身赴任して家を準備してくれていた父に、「キッチンスペースの脇にある扉を開けてみて!」と言われた時のワクワク感は、今も忘れられない。

なんと、扉を開けると30段くらいの下りの階段があったのだ。

「地下室?!」

と、驚いて階段を下ると、何の仕切りもない、とにかく広い空間が広がっていた。
父も、さすがにこのスペースの使い方に迷っていたのだろう。ここには何の家具もなく、小学生がキャッチボールをしたら端から端までボールは届かないだろうほどの余裕があった。

なにこれ?!とはしゃいでいると、奥には機械室みたいな部屋に洗濯機と乾燥機だけがおいてある、ランドリールームがあった。地下室に下る階段を降りてから、この部屋まではけっこうな距離があり、「洗濯物を持ってここまで移動するの大変じゃない?!」と驚く母に対して、父はドヤ顔で「上と繋がっているから」と笑った。
なんと、上の階のゴミ箱みたいなところに洗濯物を投げ入れると、一気に地下室のこの部屋まで洗濯物が落ちる。小学生の私には面白くてたまらなかった。

地下室には、ほかにもトイレ&シャワールームがあるのと、
最後にとっておきの場所があった。それは何かというと、、、、

ジャグジールーム。

10人は入るのでは?!という広さのジャグジーがあり、これには心底驚いた。アメリカでは、浴槽につかる習慣がないと聞いていたので、このジャグジーがある家は珍しいらしい。父親もこれが決め手となって、この家を借りることを決断したそうだ。

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ここまで、私が育ったアメリカの家について、書きました。
当時は当たり前のようにこの家で過ごしていましたが、今思うと本当に夢みたいな家だったと思います。
次回は、この家でどんな遊びをして育ったのかも、書いてみたいと思います。

今考えてみると、単身赴任で一人でこの家に住む準備をしてくれていた父親の存在が、とても有難く感じます。今更ながら、毎月いくらの賃料を払っていたのか、気になるところですね。
今度父に聞いてみようっと。

それでは、次回もお楽しみに!

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