沼らせるな、泳がせろ


前回の記事にコメントをくれた方が”沼らせる”というワードを使ってくれていたので、それについて考えた。

SNSでたまに”彼を沼らせる方法”や、”沼らせ女子の特徴”などよく見る。
シンプルに思う。”沼”って美しくはなくない?(笑)
沼に入りたいか?と言われたら”YES!”と答える人は10人中0なのではないだろうか。
私は嫌だ。ただの例えだと言われればそれでしかないが、私は言霊を信じてるし、沼になんてなりたいと思わない。(笑)

私は海が好きだ。いや、愛している。
海に入ると私は何者でもなくなれる。心地が良く、海に全身を委ねる事ができる。海は何も言わず、私がどんな状態でも受け入れてくれるのだ。

ここで私が言いたいのは、本当の”愛”の中にいるときはドキドキやワクワクはないのだと思う。
沼の中にいて感じるのはスリルや刺激が大きいのではないだろうか。

私も今までドキドキしたい、という思いで恋愛をしてきた。
LINEの返信は少し遅らせた方が良いなど、駆け引きを楽しんでいたこともある。
今なら思う。ただ”恋愛”というものに乗っかっただけでなぜ他の人にはしないことをするのだろうか。と。
人間関係はゲームではない。相手の気持ちを揺さぶろうと思い、揺さぶるそれは”本物”ではない。

私には今、好きな人がいる。心から幸せを願える人がいる。人生で初めてなのだこの感覚は。
こういう人に出会える時は何かもっとドキドキし、まるで雷に撃たれたかのような気持ちになるのだと思っていた。
だけど、ほんっとうに穏やかなのだ。海を眺めるテラスにぼんやりと座っているかのような気持ちに近い。
恋に落ちるのは、衝撃ではなく、ひらひらと舞い落ちる桜のような感覚なのだと私は思った。
あまりにも穏やかで落ちたことに気づくのに時間がかかったほどだ。

先日、彼は私に好きだよと言ってくれた。
その言葉を聞けるのは遂にとも言えるかもしれない。
しかし、実を言うとそれを聞いても気持ちが高揚することはなかった。
ただ、そうなんだと受け止めた。
彼の気持ちは正直どうでもいい。どうでもいいと言えば聞こえが悪いが、彼がそのままで、幸せでいてくれること以外に興味はない。
私は海のような気持ちなのだ。
ただただ、彼のそのままを受け止め、身を委ねてもいいと思える強い海のような女性でありたいのだ。

私はこのような気持ちになれる自分を誇りに思うし、美しいと思う。
信頼されたいのであれば、まずは自分が信頼する。
強くなければ、人を愛せないし、愛せなければ愛してもらえない。
リスクを背負わなければ何も得ることはできないのだ。

彼を沼らせるのではなく、海で心地よく泳がせてあげるようにする方が
あなたも彼も幸せになるのではないかな?と私からの拙いメッセージでした。


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