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祖母との思い出①
ふと、5年前に亡くなった祖母のことを思い出した。
母方の祖母で、昭和2年生まれだった。
大正生まれの一回り以上離れた祖父と結婚し、私の母と叔父を育てた。
後から知った話だが、当初、祖父は祖母の実姉と結婚しており、2人の間には娘がいたらしい。
第二次世界大戦後、病によりその実姉と当時1歳の娘が亡くなり、日本で知り合った祖母と再婚したとのことだった。
祖母は、生前よくこう語っていた。
「じいじがどうしても結婚して欲しいっていうから、ばあばは仕方なく結婚してあげたの。あまり好きじゃなかったけどね」
確かに、祖父母はよく孫たちの前でも夫婦喧嘩をしていて、母が祖母の味方になっている風景をよく目撃した。
毎回、一体何が喧嘩の火種だったのかは知る由もなかったが、当時こてんぱんに言い負かされている祖父が可哀相になり、泣いて祖父をかばったこともあったっけ。
だけど祖父は祖父で、なかなかクセのある人物だったから、幼心に『だから、ばあばやママ達に怒られちゃうんだよ』とハラハラしていたのを覚えている。
私が小学校4年生の時に祖父が81歳でこの世を去ったのだが、その時に祖母はこう言っていた。
「じいじのこと、死んでから好きになったね。」
それを聞いた当初も今も、いささか複雑な心境だ。
しかし、当時の結婚制度は今と違ってそういうことが頻繁にあったのかもしれない。
祖母は東京下町の小さな設備会社の経理事務員として働いており、幼かった私も事務所に遊びに行った記憶がある。
昼には出前のラーメンをとり、コーヒーに入れる角砂糖を私の母には秘密で食べさせてくれたりした。(砂糖丸かじりは、子供にとっては夢のまた夢だった)
祖母は会社を退職後も、近所で生徒を集めて茶道やお花の先生をしたりと、この時代にしてはなかなかアクティブな女性だったと思う。
私の知る限りで改めて祖母の人生を振り返ると、
10~20代前半の青春時代を戦争と共に過ごし、
戦後はあまり好きになれなかった実姉の元夫と結婚し、愛する息子と娘を育てた。
そして、結婚して半世紀を過ぎてようやく夫のことを好きになった。
高度経済成長期の中で恐らくこの時代には珍しく外で働き、
晩年は趣味の領域をひろげて活動に勤しんだ。
とても情熱的な生き方だと思う。
祖母は、娘の子供たち(私と妹)が生きがいと言っていた。
私の生まれた1985年がちょうど「男女雇用機会均等法」が制定された年だった。
平和と自由が約束された世の中で、この子達は育っていくんだと、希望を見出していたのだろうかと想像する。
経済的にも恵まれ、家族と生き別れたりすることもなく、自由に好きな道を歩んでほしい。
あなた達はそんな理想的な未来を生きていく宝物だ。
私も幼心にその気持ちを感じ取っていた。
欲しいものはなんでも買ってくれ、夏休みには旅行に連れて行ってくれた。
当時叔父が住んでいた福島県にある素敵なホテルで、私が「もう1泊したい」と我儘を行った時も、すぐに聞き入れてくれた。
本当は年金生活でそんなにゆとりがあったとは思えず、今更だが申し訳ないことを言ってしまった自分の言動を後悔する。
祖父が亡くなった後から、なぜか祖母はよく泊りがけで家に来るようになった。
私はいつでも祖母が家に居て、遊んでくれるのでとても嬉しかった。
私や妹が人形遊びをしようと誘うと、新聞を読んでいた手を止めいつでも応じてくれた。
公園に行って、私達が遊ぶのを見守ってくれた。
私が中学生になると、あまり一緒に時間を過ごせなくなった。
部活に勉強に、友達との遊びに忙しくなったからだ。
この頃の祖母との記憶は殆どない。
時が過ぎ、私が高校3年生の大学受験を控えた冬。
もうラストスパートだというのに受験勉強する気が起こらず、周りの優秀なクラスメイト達にも気が引けて、どうしても学校に行きたくない1日があった。
電車に揺られて学校の最寄り駅を通り過ぎ、県境を越えて祖母の家へと向かった。
会うのは久々だし、祖母が留守だったらどうするつもりだったのか分からないが、足が勝手に祖母の家へと向かっていた。
アパートのインターホンを押すと祖母がドアから出てきた。
最初は驚いていたが、言葉少ない私の表情から事情を察して、昼食に出前の寿司をとってくれた。
私はなんだかほっとして、泣いた。
勉強すればするほど不安になって、どこも受かる気がしなくなった。なんだか、勉強したい気持ちがなくなってしまった。どうしよう。
そんなことを祖母に打ち明けたと思う。
高校3年生にも関わらず、祖母の膝に突っ伏して泣いた。
祖母は変わらず、「こっちゃんがこんな風に頼ってきてくれて嬉しい」と笑っていた。
後日談ではあるが、この年は大学に進学せず1年浪人して、次の年の春に大学に入学した。
続いて、社会人になった私と祖母の話を書いてみたいと思う。