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滑川への道④

 深夜1時の目覚ましで目を覚まし、ノロノロと準備をする。海の上は寒いと聞いていたので、昼間の服装の下にユニクロのヒートテックを仕込む。外に出ると、ホテルの照明も消され、見事に真っ暗。車のキーのスイッチを操作して、開錠の光を頼りに車の場所までたどり着く始末だ。思いのほか寒くない。
 ところが、眠い目をこすりつつ、祈るような気持ちでほたるいかミュージアムに到着した私たちが目にしたのは無情にも「欠航」の二文字だった。あまりのことに言葉を失う。
 入り口で案内板を持った若い男性が申し訳なさそうに頭を下げている。待ち合わせ場所であるミュージアムのロビーに入るとたくさんの人がうなだれていた。それはそうだ。みんなこのためにこんな時間に集まったのだから。「海上の風が強いため観光はできない」と説明した係の人は、ただただ頭を下げ、代わりに写真スポットでの写真撮影を無料で行うことと、これからほたるいかミュージアムでの発光ショーが行われること、参加者には茹でたてのホタルイカを提供すること、乗船料の5千円は返金することなどを説明していた。

 深夜2時半、係員の誘導により、ミュージアムへ移動する。シアター形式の部屋に通され、ホタルイカについての説明を聞く。ホタルイカの寿命は約1年で、滑川では最期の力を使って深海から産卵に来た雌のホタルイカを主に捕獲していること、兵庫県で獲れるホタルイカは雌よりも体の小さい雄が中心であること、ミュージアムで展示するホタルイカは、漁期中、毎日職員が漁師の後を追って船を出して分けてもらっていること、ホタルイカが発光する理由にはまだ謎が多く残されていることなど、係員の説明は訥々とした語りではあったが、言葉の端々にホタルイカへの並々ならぬ愛情と、参加者の気分を少しでも盛り上げねばという使命感が滲んでおり、失望で淀んでいた場の空気は少しずつ盛り返していった。昼間行われている通常の解説よりもずいぶんと長いという解説の最後には、参加者のうち4人を指名してのホタルイカの発光ショーが行われた。
 小さなプラスチックのプールの中を泳ぐ数匹のホタルイカは、中に敷かれた網の四隅を持ち上げられると、暗闇の中で弱弱しく光を放ち、すぐに命を落としていた。その様はあまりに儚く、蝋燭の炎が消える直前、ふっと大きくなるのとよく似ているなと思った。
 シアターでの説明を聞いた後、ホタルイカを近くで見てみようということで隣のスペースへ移動する。ここで不思議なことが起こった。その場所には高さ20センチほどの、水族館でよく見る円形の「タッチプール」の周りにホタルイカの入った箱がいくつか置かれており、参加者は当然、ホタルイカに近付いていく。少し出遅れた私たちは、順番を待ちながらタッチプールを眺めていた。するとかなり離れた場所に毛ガニがいるのが見えた。私が何気なく「あ、毛ガニがいますよ」とT先生に毛ガニの位置を指さして伝えたその時だ。まるで私の声が聞こえたかのようにカニがこちらに向かってまっすぐに歩き始めたのだ。「こっちに来る?」「まさか、そんなことあるわけないよね?」と言い合ううちにもカニはどんどんこちらにやってきて、われわれの正面でピタッと止まった。T先生が「今日は船が出なくてすみませんって言ってるんじゃない?」と言うので、「そうかもしれませんね」と応じ、私たちはこの夜初めて笑い合ったのだった。
 4時ごろ、ホタルイカミュージアムでの見学を終えて最初の集合場所に戻ると、茹でたてのホタルイカの試食が用意されていた。大きくふっくらしていて美味しい。夕食であんなに食べたはずなのに、ここでもまだ美味しいと感じられるのだからホタルイカはすごい。
 4時半ごろに港に戻ってくる漁師さんたちの水揚げの見学ができるということで、まだ暗い海沿いの道を歩いて移動する。港に着くとすでに漁師さんたちによる仕分け作業が行われていた。外に置かれたステンレスの大きな台の上でホタルイカと一緒に網にかかった魚を選別しているという。この日の水揚げは125キロ。2かご半だ。それでも昨日よりはいいというから、不漁問題は深刻そうだ。帰り際、作業台のそばのバケツに頭を突っ込む鷺を見つけた。この時間、仕分けられた雑魚が労なく手に入ることを知っているのかもしれない。
 5時。車でホテルに戻る。頭も体もおもだるい。朝食の時間に集まることを約束して各自部屋へ。シャワーを浴びて2時間ほど眠る。

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