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職業訓練校木工工芸科という所(5)

私たちが訓練で使うことになるノコギリはレザーソー、パネルソーと呼ばれる胴付きノコ、そして両刃ノコ一丁である。両刃ノコとは、通常私たちが大工道具を考えたときにおそらく真っ先に思いつくやつで、長方形の(やや台形じみた)薄い鋼板の対辺にたて挽き刃とよこ挽き刃がいっぺんについている。

レザーソー、パネルソーについてはいくらか説明がいる。さらにその前に、胴付きノコとは何ぞ、というとこれは細工用のノコである。細工用であるためにノコ身が薄くできている。するとこれでは力をかけたときにひん曲がりかねないというので、頑丈な背骨が入っている。

日本の古い時代のノコギリは鍛造で作られていたようで、おまけに度々研ぎなおしていたようである。それに対して、レザーソー、パネルソーというのは、圧延鋼板を打ち抜いて作っている。そして替え刃が売っているので研ぎなおしたりはしない。もの好きは研ぐかもしれないが、替え刃を買ったほうが人生はより豊かなものになるだろう。そう、要するにレザーソーやらパネルソーやらというのは商品名なのだ。

昔の鍛造ノコギリと今風の圧延鋼板ノコギリでどちらが切れるのかとなれば、おそらくよく研いだうえで鍛造なのだろうが扱いやすさを問われると鍛造は分が悪い。なんというかひねくれている。ノコギリごとに違った癖を持ってしまっているといってもいい。おそらく、定期的に刃を交換しないものだから、長年使っていると、使用者の癖がノコ身の変形として蓄積してしまうのだと思う。一方、圧延鋼板の替え刃ノコギリにはキャラクターの違いなどは存在しない。どれでもそこそこ切れる。

ではパネルソーとレザーソーとの違いは何かといえば、刃が細かい方がレザーソーである。パネルソーの方には、刃が左右交互にひらいている“あさり”が見られるが、レザーソーにはごくわずかしかない。そして替え刃の値段が高い。大雑把にパネルソーで切って細かい仕口をレザーソーでとなるか。

これらのノコを使って私たちひたすら材を挽いた。まっすぐに挽く、速く挽く、必要なだけ挽いてそれ以上は挽かない。これらはホゾを綺麗に仕上げるための訓練である。ホゾとは、釘を使わずに木組みで仕上げるための基本なのだが、ノコが上手く引けないようだと、組んだ木と木の間に隙間ができる。

ノコ挽き作業というのは、地味な訓練の毎日で、特に記述することがないのだが、次のステップのために重要である。次のステップとは各種のノミで、これを使いこなせれば、ホゾを完成させ、木と木をつなぎ合わせることができる。

あとがき

訓練校の座学の中には安全に関する授業がある。今年度、この授業を担当しているのは私たちが“じちょー”と呼び慣わしている機械科の先生である。

木を加工するにしろ金属を加工するにしろ、危険回避の基本的な考え方には大差がないということで受け持つ事になったのだろうが、やはり先生としては多少の勝手違いを感じるようであった。

そこで方針を変更し、機械科の教室にある旋盤を実際に使わせてみて、その中で安全に関する実地の授業を行おうということになったのだが、実のところ私は、安全の授業を受け持つことになった先生自身のキャラクターに幾ばくかの疑念を抱き始めていた。

この先生がロゴスによらずパトスによって話すタイプの人間であるということに気づいてしまっていたからである。

たぎる指導者の血をもつ彼の頭の中には、私たちに話したい言葉がアンドロメダ銀河の如くに渦巻いている。ところが、それらを口に出して意味ある言葉にしようとした場合、彼は甚だしく難渋した。印象としてはアウ、アーウ、アーといった助走の後に言葉の水流が一瞬せき止められ、次に決壊するといった感じか。違うか。

ただし、ここでは口調なんぞはどうでもいいことで、問題の本質は彼が常に冷徹なるロゴスによらず、ほとばしるパトスによって説明を行うため、私たちはしばしば理解不能に陥るという点であった。

たとえば彼は、旋盤の実地訓練に入るにあたっていくつかの器具の説明を行ったのだが、まず「ノギス」についての説明を行った。私は一応使い方を心得ていたが、こんなものは、二、三個適当なものを選んで大きさを測定してみせれば誰でも使い方が分かるものである。

ところが彼が、持ち前の溢れるパトスによって説明を行ったところ、大半の者が消化不良をおこしたように参ってしまった。彼は文字通り言葉を尽くしたのであるが、そのアプローチの方法が、ことごとくとんちんかんであったため、しまいには私ですらワケが分からなくなってしまった。

現場に赴き、実際の旋盤を前にすると彼の情熱のボルテージはさらに沸騰点に近づいた。しかし、その説明からは以前にまして論理的正確さが失われていく。

彼はまず、木工機械と金属加工機械の違いについて説明を始めた。要点は鉄を削る機械の方がいっそう強力であるということなのだが、それを言葉にした場合、

「こいつらは馬力でる。どのぐらいかっていうと…並じゃない。」

みたいな表現になってしまい、説明の全体的な傾向が、

「島村ジョーがスーパーガンをぶっ放したときの命中精度は百発百中である。」

といった解説に変わりない。

次にもうちょっと新しい工作機械について話したとき、彼はさかんに「ヘルス!・・・ヘルス!」、とわめき散らした為に、私たちはしばし、お互いに顔を上げることができなかった。この話はよく聞けば、ギアによる変速がいらないという内容らしく、どうやらパルスモーターについて解説していることが判明した。

これら一通りの説明を終えたあとに、私たちは旋盤を使って真鍮を削ることを許された。しかし。彼の安全への配慮は起動の動作にまで入念を極め、主電源を入れた生徒に対してこう言った。

「今、右手でスイッチを入れた、よくできた。いいか、コレは200ボルト流れてて非常にスゴい。入れるときは慎重に入れる。切るときはバシッと切る。」

私たちは、自分の身は自分で守らねばならないという現実を学んだのだ。


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