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これは投資か、無駄遣いか
20代のころ、アパレル企業を多数クライアントに持つ、小さな広告代理店に勤めていた。
今でいうブラック…とまではいかないが、仕事はきつく、その割に給料は申し訳程度、という環境。そのなかで唯一、といっていいほどのメリットは、人気アパレルブランドのファミリーセールのチケットが手に入ることだった。
今でこそ一般の人でも入場できるようになったけれど、そのころのファミリーセールといえば、その名の通り社員の家族のみが参加できる催しで、何の関係もない外部の人間には縁のないものだった。
特に人気の高いブランドは、「ファミリーセールがある」ということ自体、大きな声で言ってはいけないことになっていて、そのチケットはまさにプレミアものといってもよかった。
わたしは、その会社に勤めてたった3年で超古株になり(入社後、すぐ辞める人があまりにも多かったため)、ほぼ優先的にチケットをもらうことができていた。
おかげで夏と冬の年2回、セール期間がやって来ると、わたしは毎週末、ファミリーセールをハシゴするのが習慣になっていた。
普段は手が出ないブランドの、一般のセールよりさらに安いプライスで手に入るとくれば、あれもこれもと欲しくなるもの。なかでもわたしを惹きつけたのは、店頭には出ない「サンプル商品」。山のような洋服の中から、これをゲットするのがどんなに楽しいか。まるで宝探しのようにわたしは夢中になっていた。
しかし、いくら安いといっても、こう毎週毎週セール三昧では、出費はどんどん膨らむばかり。クローゼットに入りきらないほどの服やバッグが手に入ったと同時に、わたしは収入のほとんどを、それらのために手放していた。
無駄遣い。といってしまえば、そうかもしれない。
けれど、20代の一時期、後先考えずに「好きなもの」にお金と時間と労力をつぎ込んだ経験は、後になって思わぬ報酬をもたらしてくれた。
まず、「似合うものと、似合わないもの」が明確にわかったこと。
欲望のままに山ほど買って、たくさん失敗したからこそ、学ぶことができたのだった。おかげで30代以降、服を買って失敗したということがなくなった。
そして、「モノを見る目」が少しは養われたこと。
品質の良いモノから粗悪品まで、手に取り、身に着けたからこそ、その違いを肌で感じることができた。おかげで、ショップの棚に並んでいる服を触らなくても、見るだけでだいたいの品質がわかるようになった。
さらには、それが活かせる仕事が舞い込んできたこと。
今現在、携わっているのは、洋服が好きだからこそできる仕事がほとんどだ。あのころ実体験で学んだファッションについてのあれこれが、今のわたしを支えてくれている。
今はもう手元にない、山ほどの「無駄遣い」した洋服たち。
あのとき、収入のほとんどをつぎ込んでまで得たのものは、意外にもちゃんと「ここ」に残っている。