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#2 古い資料にBye-Bye
わたしは昔から貧乏性、というのは、このマガジンを始める時にすでに書いた。その、貧乏性っぷりがわかりやすく出ているのが、手持ちの資料だろう。
わたしの仕事に資料は不可欠。ゆえに、仕事をするたびに資料はどんどん増えていく。
友人のライターは、ひとつの仕事が終わるたびに、そのとき使った資料をすべて処分するそうだ。潔いなぁ。それなら溜まることもないし、わたしのように、狭い仕事部屋を紙切れの山に侵略される危険もないだろう。
わたしは友人とは真逆のタイプで、使った資料がなかなか捨てられない。それが、重要な書類からメモ書き1枚にまで及ぶものだから、増える一方で一向に減る気配がない。なんとかしなくては、と思うのはいつも、資料棚も本棚も机の上や引き出しまでもがぎゅうぎゅうになり、もうこれ以上紙切れ1枚さえも収納できない、となってからだ。
さあ、今こそ「さよならリスト」の出番だ。わたしは古い資料をばっさり処分することに決めた。
まず、手持ちの資料を分類すると、大きく分けて3種類。
1. 現在進行中の仕事、あるいはレギュラーの仕事に必要な資料
2. 過去の仕事で使った「手に入れるのが困難なレア資料」
3. 楽しかった仕事の「思い出資料」
こう考えると、いま絶対に必要なのは1だけで、2と3は「今、なくても困らないもの」だ。いわゆる片付けの指南書を見ると、処分対象に挙げられるのは、間違いなく2とか3とかの「今は役に立たないもの」だろう。
わたしはなぜ、これらが捨てられないのか。
特に2は、まさにわたしの貧乏性体質によるものだ。過去に苦労して入手した資料ほど愛着がある。捨ててしまったらもう二度と手に入らないとと思うと、どうしても捨てられない。今後、必要になることはないかもしれないが、「あるかもしれない」と思ったら、ますます捨てられないのだ。
3もまた、思い入れが強すぎるものばかり。資料が捨てられない、というよりも、その思い出が素敵すぎて忘れたくないために、資料にしがみついているだけなのかもしれない。その資料を開くたびに、そのときの思い出が蘇り、「ああ、またこんな楽しい仕事がしてみたい」と思うのだ。
だけれど、その「思い入れ」こそ「さよなら」の敵。これをなんとかしなければ、ますます部屋は侵略されていく。
ここで大事なのは、資料を取っておく意味だ。
そういえば、前述の友人がこんなことを言っていた。
「資料は最新の情報でなければ意味がない。古くなった情報を抱えていると、思わぬミスを犯すリスクもある。だからわたしは、一度使った資料を全部捨てることにしている」と。
そうだ。そのとおりだ。わたしはまず「2」から着手することに決めた。なぜなら、レアな資料は比較的古いものが多く、たとえまたそれが必要になったとしても、内容が古すぎて役に立たない可能性があると思ったからだ。
ああ、やっと手放せる。そう思ったら、少し気持ちが軽くなった。
レア資料の中には、クライアントの社外秘資料も多く含まれている。これらはやたらと捨てられず、もしわたしが出したゴミからなにかの情報が漏れてしまったら…などと、ためらってしまうものもあるけれど。
それすらもバカバカしいほど、わたしの資料の「新製品」たちは、もうすでに世の中に出回っていてヒミツではなくなっていたり、すでに役目を終えて世の中から消えてしまったものすらあるのだから。
ぎゅうぎゅうだった棚には、分厚いファイル2冊分の余裕ができた。その隙間が、新しい仕事を運んで来てくれますように。わたしは願いを込めながら、かつて大事だった資料を破いて捨てた。