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猫取り物語

 この話は、スコットランド境界地方にある小さな町を訪れていたときのものだ。
 月が明るい夜、わたしは宿屋の暖炉の前でブランデーをたしなんでいた。そこへ宿屋の主人が神妙な面持ちでやってきた。
 誇り高き有閑紳士としては、困っている者を放っては置けない。主人の話をじっくり聞いてやることにした。

「おありがとうございます、慈悲深いだんな様。これもひとえに神と三位一体(さんみいったい)の精霊たちのお導きなのでございましょう。あっしがこうして参りましたのは、だんな様にお願いしたいことがあるからでございます。
 いえいえ、お代のことではごぜいません。お見受けしたところ、だんな様はたいそうご立派なお方でいらっしゃいますから、その点に関しましては全く心配いたしておりません。お願いしたいお話とは、猫のことなのでございます。
 へえ、暖炉のそばにすわっている……へえ、左様でございます。お足元の灰色の若い猫のことでございます。その猫のことで、あっしと女房は困っているのです。
 このようなことを申し上げるのは大変心苦しいのですが、どうか、この猫と年老いたあっしらのために証人になっていただけないでしょうか?

 ……と言いますのも、じつは、この猫は、猫王朝の一族の生き残り、最後の一匹なのでございます。いろいろ訳あって、あっしとあっしの女房が王子さまのお世話をする役目をたまわった次第で。悲しいことに、今夜がお迎えが来る戴冠式の夜なのでございます。
 王子がおっしゃるには、お迎えが来たとき、あっしと女房は忘れ薬を飲まされるということです。ああ、自分の子供のように可愛がってお育てしたというのに、あっしら夫婦は王子さまのことを忘れなければならないのでございます。こんなひどい仕打ちがあってよいでしょうか。

 そこで、お願いでございます、だんな様。だんな様はどこかにお隠れになって、へえ、台所の陰にでも馬小屋の中にでもお好きなところでようございますから。王子さまが猫王国へお発ちになる様子を観察なすって、何もかも忘れてしまったあっしと女房に、語ってお聞かせくださらないでしょうか。
 いえいえ、そんなことをおっしゃらずに、だんな様。後生でございますから、老い先短いこの老いぼれを少しでも哀れと思ってくださいますのなら、どうか、どうか……」


 宿屋の主人の話は半信半疑であったが、涙を誘われる話でもあった。主人がどうしてもと言ってきかないので、願いを引き受けることにした。
 わたしが小説家として名を知られるようになったのは、その後のこと。『エジンバラ・レビュー』誌の誌面に、そのときの目撃談が載ったのがきっかけだ。
 あれから何十年たった今でも、宿屋の主人と猫王子には感謝している。

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