ブランケットのあたたかさ
ヨガのレッスンの終わり間際、マットの上に仰向けに横になって目を閉じている。スタジオの中を回っている先生の気配が感じられる。ひたひたと近づいてきた足音がわたしの傍で止まって、ふわ、とわたしの周りの空気が動き、足の上にブランケットが掛けられる。あ、と思う。ちょっと申し訳ないなと思う気持ちと、それを大きく上回るしあわせな気持ちが身体の中に湧きおこる。
受講者の身体が冷えないように思いやってして下さる、先生のちょっとしたこの行為が、ひどく身にしみてありがたく感じられる。
ブランケットのあたたかさがいくつかのことを教えてくれる。知らない誰かと共に過ごしても大丈夫、何もこなせなくても大丈夫。目を閉じて仰向けになって脱力するという、この上なく無防備な状態でリラックスして大丈夫、と。
母の子育ては奇妙で滅法厳しかったけれど、ことばを知る前の小さい子だった頃は、こんな風にしてもらえたこともあったかと思う。自分の中の*子さんに、(あなたは誰かにあたたかいブランケットを掛けてもらっていい子なんだよ)と言ってやりたい気持ちが兆す。
ふわ、と掛けられるあたたかさは、「あなたはそのままで、ここにいていいよ」というメッセージだ。わたしはことばを用いないで、それを身体の感覚を通して享受する。