とっさの一言が出ない

何かに対する意見や感想、生じた感情を、即時に表明するのが苦手だ。例えば職場で、社員のAさんの指示を受けながら共同で作業をする。Aさんが手順をひとつ飛ばしていたり、明らかな勘違いをしていたことに気付いた時、「あの、Aさん、それ大丈夫でしょうか?」とか「ちょっと待って下さい、確認してもいいですか?」とか、その一言が出せない。「波風を立てたくない」といえば聞こえはいいが、気付いているのに言わない(言えない)のは責任逃れ、ずるい保身であるともいえる。
それは今の職場で働く上ではよくないと最近思うようになってきた。
これまでの勤め先では「あなたは経験が少ないし、社員でもないのだから、とにかく指示通りに動け。出しゃばって余計なことは言うな。するな。」と言われていた。実際、気付いたことを発言したこともあったが、あとあと、あの時言ってよかったなと思える展開になったためしがなかった。
確かに自分の考えは浅かった。対人スキルも稚拙だった。提案や発言のタイミングや仕方にも問題があった。それにしても、だ。
いくら阿呆な自分でも、体験を通じて多少の学習はする。年相応に疲れもする。差し出がましいことは言わなくなる。極力心を閉じて、エネルギーを無駄に削られないよう、日々を「やりすごす」ことに専心するようになる。

これらの体験を通じて〈とっさに反応を返す〉という行為が昔からトリガーのひとつだったということにも気付く。とっさの一言は、母の怒りを簡単に招き寄せた。「打てば響く」は危険だった。情動が不安定な母を刺激しない、母に振り回されないようにするというただそれだけのために、どれだけ多くのエネルギーを使い続けたかわからない。

ところが今、職場でそんな消極的な態度を決め込んでばかりもいられなくなっている。ここのところ部署全体の業務がいっぱいいっぱいで、ベテランの社員さん方でも抜けやミスが出る場面があり、所属長からも「おかしいと思ったら、その場ですぐ指摘して下さい」との指導を受けた。抜けや勘違いが原因で、わたし個人の手間や時間が無駄になる程度で済めばいいが、ミスの連鎖を止めなかったせいで大勢の人を迷惑に巻き込んでしまうかもしれない。それを防ぐためにも、適切に即時反応をしないといけない。もちろん、わたしも指摘を受ければすぐ修正したり、改善していかなければならない。
気を張りつめる日々が続く。一介のパートタイマーに、何とさまざまなことを求めてくる職場なのかと思わないでもないが、そこにいる以上努力は必要だろう。自分の中のトリガーを客観視する練習になるかもしれない。どこまで気力が続くかはわからないが。

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