父の記憶
父の記憶を整理しようとすると、身体のうちを砂まじりの風が吹くように感じる。
十年ほど音信不通だった父と、妙なきっかけで連絡が取れ、父の提案で食事を共にしたことがあった。わたしの家族と父とでターミナル駅に面した中華レストランで落ち合った。父は終始上機嫌で、一別以来の身の上話をした。危機を乗り越え、義務を果たし、今も熱心に信心していると話した。そうなんだ、お父さん大変だったね、頑張ったねとわたしは言った。父は満足げだった。わたしが一緒に暮らしていた頃、家で飲酒しているのを見たことがなかったが、その日はビールを飲んでいた。
父は母のことは一切口にしなかった。もし訊かれたら話そうと思っていたが、お母さん元気にしてるかの一言もなかった。当時母は入院中で、まだ鍵のかかる病棟にいた。だがそのことを言わなくてよかったと思う。おそらく父から労わりのことばは返ってこなかっただろう。話すことによってさらに傷つくことだけは避けることができた。
こどもたちはぎこちない顔をして食事をしていた。長男は父と数度会ったことがあるが、それも三歳頃までの話、次男に至ってはこの時はじめて顔を見たのではなかったか。二人ともこの人が祖父ちゃんだよと言われてもぴんと来なかっただろう。父は食後テーブルで煙草をふかした。煙がこどもたちの方にばかり流れて、ふたりは、けむたい、くさい、と小さい声で言いながら手で煙を払っていた。それを見ても、父は平然としていた。やはりそういう人なのだなと心が暗く冷えてゆくのを感じた。そしてわたしも、お父さんこどもがおるから煙草は違うところで吸って、と言えない、こどもを守れない母親だった。夫が同席してくれていなければその時間を正気で耐えられなかっただろう。最後に、レストランのホール係の人にシャッターを押してもらって、全員で写真を撮った。これが父と会った最後の日になった。