うまくすれ違うことができない

道を歩いていると、向こうから人が歩いてくる。その向こうから歩いてきた人をうまく避けられなくて困る。こどもの時からずっとそうだ。
向こうから歩いてくる人が、真っ直ぐ突っ切ってくるのか、あるいは左右いずれかに少し避けようとするのか、それは何となくわかる。問題はその後で、(あ、この人はきっと左に寄りたいのだな)と察すると、どうしたものか自分も左に寄って行ってしまうのである。結果左に寄ろうとしていた相手の人が、あ、といった感じで進路を右に切り直す。わたしは(あ、どうしよう、すみません)とおたおたして、うっかり右に寄ってしまい、またしても先方の進路を妨げてしまう。そういう迷惑な状況を引き起こすことがあまりに多いので、最近は数歩手前で路肩に寄って人が通り過ぎるのを待つこともある。いずれにしても挙動不審である。徒歩でこの調子だから、自動車の運転など想像するだに危ない。車の免許を取得しなかったのは幸いだったかもしれない。
芸人がコントの中で「人とうまくすれ違うことができない」という場面を誇張して演じるのを見たことがある。客席からは笑い声があがっていたが、わたしにはちっとも可笑しいと思えなかった。自分の姿を見せつけられ、笑われているように思えて、苛立つと同時に悲しかった。

肉体的解離は、われわれ自身の体内のリズムと経験を撹乱する。センターに来る多くのクライアントは、無意識のうちに呼吸をこらえ、絶えず筋肉を緊張させている。ところが、その緊張感や不快感に全く気づいていない。そのため、彼らの体の生理機能とフェルト・エモーション(身体感覚レベルの情動)が同調しなくなっている。生理的にこわばった状態は、新しく起こってくる状況に柔軟に対応する能力も阻害する。そういうわけで、彼らは"流れるように進む"のとは対極に陥っているのである。

ディヴッド・エマーソン エリザベス・ホッパー著 『トラウマをヨーガで克服する』紀伊國屋書店 2011年刊


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