「かわいそうに」
土曜日は給食がない。母は出勤する時わたしの昼食までは準備しなかったから、冷蔵庫にすぐ食べられるものがなければ、自分で何とかするしかなかった。
小学二年生くらいになるとガスコンロを使えるようになったので、よく鍋を火にかけてインスタントラーメンを作った。インスタントにせよ、温かいものを作って食べられるようになったのはうれしかった。
それ以前、一年生の間はまだ火が怖くて使えなかったので、土曜日の帰宅後は、小銭を握りしめて自宅近くの公設市場に行き、パンかたこ焼きを買って食べた。それから長い午後を、外に遊びに行くか、本を読むかして過ごした。
ある土曜日のこと、「神戸屋さん」*でメロンパンを買い、どこか外の気持ちのよいところで食べようと自転車を走らせた。駅近くのオフィスビルのエントランスが目に留まった。ガラス張りの吹き抜けのエントランスにスケルトンの螺旋階段があり、そこに日が差して複雑なかたちの影を落としていた。その影にひかれてビルの中に入った。ビルの中に入って螺旋階段の下に潜り込み、床に座り込んでみた。がらんとしていて、きれいだな、こんなところが自分の部屋だったらいいなと思った。そこでメロンパンを袋から出して食べ始めた。食べながら、この空間が全部自分の部屋になったところを想像してわくわくしていた。半分くらい食べた時、ビルのドアが開いて人が入って来た。大人の二人連れだった。そのうちひとりの年配の女性がわたしの方をじっと見た。わたしは怒られるかと咀嚼を止めて身を固くした。その女の人は、怒らなかった。その代わり、わたしにも聞こえるような大きな声で、
「まあ、あんなところで。かわいそうに」
と言った。わたしは驚愕した。
ビルに勝手に入って座り込んでいることを咎められるならともかく、「かわいそう」と言われるとは夢にも思わなかったのだ。非日常の空間を独り占めして機嫌よくしていたのに、誰に気を遣うこともなく、ひとりで自由に過ごせてうれしいと思っていたのに、まさか「かわいそう」と言われるなんて。わたしは食べかけのメロンパンを持ったまま、バケツの水を頭からぶっかけられた野良犬みたいにそこを逃げ出した。
知らない人から面と向かって「かわいそう」と言われたことが他にもあっただろうか。実際のところ、床は砂や埃がたまっていたし、こどもが食事をとるのに適した環境とはいえなかった。小さい子がひとりでそんなところでパンをかじっているのを見たら、今のわたしでも思わずそう言ってしまうかもしれない。それでもやはり、「かわいそう」ということばは強すぎた。虐待、ネグレクトと言っていい歪な状況下、想像力のみをたよりに楽しい時間を構築しようとしていたのに、試みはあっけなく失敗に終わってしまった。
*近隣の公設市場の中にあったパン屋のこと。「神戸屋」と書かれた大きな看板がかかっていたので、近所のこどもたちはその店を「神戸屋さん」、店主の小父さんを「神戸屋のおっちゃん」と呼んでいた。神戸屋はパンのメーカーの名前なのに、随分長い間、その店固有の屋号だと思い込んでいた。本当の店名は知らない。