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楠木ともりと優木せつ菜の「大好き」の記録 3,表現の模索期間の存在の特異性

 〈制約の中での模索の存在の重要さ〉

 ここまで楠木ともりのパフォーマンスに制約が生まれた影響を考えてきたが、ここでより考えたいことが、楠木ともりが降板の決断をするまでに、様々な表現の模索の期間があったことそのものである。これは先述した他の2.5次元コンテンツの降板の事例ではあまり見られなかった事例であり、ここに彼女が行ってきたことの特異性があると言える。
 
 例えばRoseliaの遠藤ゆりかの例でいえば、Roseliaとしてのライブは3回しか行われておらず、その後は速やかに後任の中島由貴に交代したため、さらなる情動的概念による触発の連鎖がこれから期待されるタイミングであり、何かを模索していく期間は作りようがなかった。
 また『Re:ステージ』における花守ゆみりの場合においても、降板が正式に発表されたのはラストとなる公演の直前であり、そこに向けて全力でキャラクターを体現することを最後までやり遂げるという形を取っていた。最も、前者も後者も体調不良の連続や半月板損傷という大怪我といった状況の中で、当然無理をするべき状況ではなかったことは留意したい。

 〈「図像」と「声」の関係性と楠木ともり/優木せつ菜〉

 ここからは筆者の推測も多く含まれるが、楠木ともりも同じ状況になる可能性が少なからずあったのではなかろうか。楠木ともりは虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会4th live のMCにおいて、「『どんな形であれ楠木さんがせつ菜を演じることが大切』この言葉をいただいて、私は今日ステージに立ちました。」と述べており、この言葉からはこの時点で降板の選択肢もあったことが伺える。それでも彼女がステージに立つという選択をしたことは、やはりキャラクターを成り立たせるうえで、「声」という要素が大きな地位を占めていることを示していると言っても過言ではないだろう。この場面において、楠木ともりの「声」は「図像」以上の価値を持っているのである。
 
 そしてファンも、その「図像」が不完全な状況をある程度受け入れていたことも含めて、楠木ともりのパフォーマンスの魅力を考えるヒントはここにあると言えるのではなかろうか。もちろんこの続投は、それだけが原因ではない。
 例えば、『ラブライブ!』シリーズにおいて、同様の降板の先例がなかったことは大きかっただろう。それでも、この状況がファンに受け入れられていたことは、彼女の2.5次元アイドルとしての魅力の大きさを証明しているものと言えるだろう。

 ここまで2.5次元コンテンツにおける声優の在り方を踏まえながら、楠木ともりが降板に至った過程を見ることで、彼女のパフォーマンスの特徴の在り処を探ってきたが、次章からはより具体的に彼女のライブパフォーマンスを観察し、その魅力について考えていきたい。

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楠木ともりと優木せつ菜の「大好き」の記録 4,『CHASE!』で叫ばれる「束の間性」の価値|此花(このはな)|note


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