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立春明け満月の宣言・『文学講座』はじめます

何かを始めたり宣言するには新月が良いとされるのだけど
今回は「満を持して」ということでこれからやることを言葉にします。

それは、文学講座を始めること。

幼い頃からごく自然に文学作品に慣れ親しみ
詩や日記をあたかも「作品」のように書き始めた幼い頃。

十代なかばでものかきになりたいと強く想い
二十歳には父に「作家になる」と伝えたものの
理想と現実のギャップに失望し
虚無感を抱きながら紆余曲折の日々を過ごしました。

それでも書くことから離れることができず
コピーライターの職に就き、
崖っぷちにぶら下がっているような状況から
だんだん本を出せるまでになっていきました。

武士道という日本の歴史文化を伝えるものであり
生き方本・人間学という類に属するものを書くのは
おおきな喜びにほかなりません。
その間、文学作品を手に取ることは少なくなり
特に近年のものは読むことがありませんでした。

けれど昨年、【本気の文章講座】の開講に伴い
久しぶりに文学の扉を開きました。
それだけでなく、私の十八番としている講座【岡倉覚三『茶の本』から見る日本民族の心】から発展して
ある「隠れ講座」にて
『茶の本』をじっくり学ぶ読書会スタイルの講座をしました。

そうこうするうち、私の中で眠っていた文学の芽が
いつしか養分を吸い上げて育っていき
もはや無視できないまでに伸び伸びとした若葉に成長しました。

一時期、断念し離れていた文学の世界。
私は、その世界に、もう一度、戻ろうと思います。
いえ、戻るのではなく、新たな階層の新たな扉を開くのです。
新たな階層ではあるけれど、扉を開いてみたら
ああ、やはり懐かしい、慕わしいもので溢れかえっています。
一巡して、こんなふうにして、もう一度「出逢いなおし」ができることを
いったい誰が想像し得たでしょう。
悲しく断念した三十二歳の私に教えてあげたい。

文学講座。

思えば父も文学講座の講師でした。
日本中、あちこちに出かけていって講座のみならず文学談義に興じていた父。
おや、お前もいよいよ文学を語るんだね、とやさしく、そして満足そうに微笑む姿が目に浮かびます。

さて、ここまで熱く綴りましたが
まだ「やるぞ」という以外は、決まっていません。
それは、これから。

私のことだから、次々といろんな作品をとりあげて・・・ということはできないので、たとえば一冊を数ヶ月から一年かけてしっくりじっくり学んでいく、ということになるでしょう。

一冊の本を深く読み込むことは数十冊の本をさっと読んだ以上に匹敵するから。
とりあえずは、「この指とまれ」をしてみて誰かとまったら開くし、
誰もとまらなかったら久しぶりに一人文学作品を読み込むことにします。
相変わらず走りながら考えて宣言する私ですが、ひとまず言葉にしました。

写真は夏目漱石の『虞美人草』復刻版です。


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