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松本隆さんの「美しい詩」の秘密
小学5年生から中学時代は
詩を書くことが多かった。
時にはメロディをつけて歌にした。
(この場合は詩ではなく詞)
幼い頃からピアノを習っていたし
中学時代はアコースティックギターも弾いていたので
自分の曲を作るのも楽しみだった。
詩や詞にも強い関心を抱いていた私が
「いいなぁ」としみじみ感じ入る曲には
共通点があることに気づいた。
それは、松本隆さんの作詞である、ということ。
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渚を滑るディンギーで
手を振る君の小指から
流れ出す虹の幻で
空を染めてくれ
『君は天然色』歌・大滝詠一
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あんなに激しい潮騒が
あなたの背後(うしろ)で黙り込む
身動きもできないの
見つめられて
『探偵物語』歌・薬師丸ひろ子
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蒼ざめた月が東からのぼるわ
丘の斜面にはコスモスが揺れてる
眼を閉じてあなたの腕の中
気をつけてこわれそうな心
ガラスの林檎たち
『ガラスの林檎』歌・松田聖子
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数ヶ月前、松本隆さんの
言葉についての本を入手した。
『松本隆 言葉の教室』(マガジンハウス)
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装丁デザインは、なんと懐かしいバイエル風。
※『バイエル』=子ども向けのピアノ教本
松本隆さんの日本語は
文句なしに美しいのだけれど
同書の中に、こんなことが書かれていた。
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*日本語へのこだわり*
ぼくに詞を書かないかと最初に勧めてくれたのは
細野晴臣さんです。大学一年生の頃ですね。
(中略)
当時は「英語じゃないとオシャレじゃない」
「ダサイ日本語でロックができるか!」
なんていう風潮があったけど、
ぼくのこだわりは慣れた日本語で
つくりたいということだった。
日本語は美しいし、奥深い。
その日本語でロックやポップスが
つくれないはずがない。
かっこだけつけても中身が薄っぺらでは意味がないし、
モノがよくなければ腐っていく。
ご飯だって、どんなに見た目が良くても
おいしくなければ意味がないでしょう。
ファッションだって、見た目が良くても
底が浅いとかっこ悪い。
こういう考えは18歳の時からいまにいたるまで
ブレることはありません。
(以上、同著より引用)
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松本隆さんに、ここまでの
「日本語に対するこだわり」があるとは
まったく知るよしもなかった。
でも、その作品群に魅了されたのは
他でもない、「美しい言葉」のせいであって
それは「美しい日本語」で綴られていたのだ。
十四歳の私に教えてあげたい。
いつか日本語の美しさ、奥深さに、気づく日が訪れると。
松本隆さんのような考えを持つ人が
音楽界随一のヒットメーカーになったこと
その意味も、いま一度、深慮する時だと思う。
明治以降、やたらと西洋の後追いをするのが
日本人のクセのようになっているから。
取り入れて融合させるならまだしも
そもそも文明文化が異なるのに
そのままムリに導入しようとするのは
鹿鳴館を引きずっているのに等しい。
それにしても、松本さんの世代は
たとえば作詞を勧めた細野晴臣さんもそうだったように
とにかく日本はダサイ、西洋はカッコいい
かっこよくなるためには外国の真似をする
という姿勢のひとが大半だった。
そうした中で、断じて日本語を貫いたばかりか
和歌や俳句にも見られるような
日本語ならではの韻を踏むスタイルを取り入れて
独自の世界を確立した松本隆さんは偉大だ。
その作品は、今なお色褪せないどころか
むしろ鮮やかに感じられる。
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