静寂の時間をつくる
このところずっと「静寂」というのが
私にとって重要ワードだった。
もとより喧噪や賑やかさより静寂を求める性質だが
今のは時期的なものだろうと思う。
とにかく静寂の中に身を置いていたい。
森の奥深くにある泉にそっと入っていくように
静けさのなかに浸っていたい。
そんな想いが強まっている。
すると今読んでいる本の一冊に
まるで映し鏡のような一節があった。
幸せの秘訣を説くもので、
「もう一つ、とても重要なことは、
信頼する人を愛する時間と同じ分、
自分の静寂の時間を作ること」
と、あった。
森井啓二氏の『君が代から神が代へ 下巻』
「生の章」P84ページだ。
ハーバード大学の長年にわたる追跡調査により
幸せを感じる人の共通点は、良質な人間関係にあった。
家族や友人、コミュニティなどで信頼のおける人々と
積極的な関係を築いている人は、財産の有無や社会的地位とは無関係に
幸福を感じていたという。
愛し合うこと、特に、愛されることよりも愛することの大切さを
森井氏は説いているが、そこで重要になるのが
自分のために静寂な時間を設けることであり、
それが相乗効果をもたらすと提言しているのだ。
今、私は多くの人と関わっており、その関係性は極めて良好と言うことができる。そこにはあたたかな愛が感じられ、時に、慈雨のような涙がこぼれることもある。
こういう信頼関係の中にいられるのは、極めて幸福と言うほかない。
だから、なぜ、それなのに、静寂を求めるのか、若干意味がわからなかった。
「みんなと繋がっているなかで幸せを感じているのに、なぜ一人になろうとするのだろう?」
簡単に言えばそういうことになる。
だから、この章を読んだ時に、その理由がなんとなくわかった。
コミュニティのみんなを愛していて、一緒にいるのが楽しくて仕方がないからこそ、
私は、静寂の時間を求めたのだ、と。
そうすることで、より、愛を深めていきたいと、無意識のうちに感じているのかも知れない。
静寂は、孤独ではあるかもしれないけれど、孤立とはちがう。
殺伐としたものとは、相反している。
森の奥深くにある泉は、静かな愛の泉なのだ。
私はそっと身を沈め、自分を愛で満たし、あふれるほどの愛をもって
静寂の森から出ていくのだ。