29 梅すだれ-御船
干物屋に来てから朝晩お腹いっぱいに米を食べ続けているからか、庄衛門の体はがっしりと肉厚になってきた。背丈は五尺(150cm)になり十三歳にして大人と変わらない体型である。それで干物売りに運び役として連れていかれるようになった。
御船の町は沢山の商家が立ち並び醸造で栄えている。日向の国と熊本城をつなぐ日向街道が通っているため旅籠も多く、宿場町でもある。旅籠や商家へ干物を売り、残りは道で売り切って帰ってくる。売り頭である栄太に連れられて御船の町を歩く庄衛門は、町の活気に心が高ぶった。自給自足の登立と干物を作り続ける干物屋しか知らない庄衛門には、足早にひっきりなしに通り過ぎていく人たちが懐から取り出した銭であれもこれもと買っていく姿はいなせに思える。そんな人たちと対等に干物を売る栄太も粋に思える。しかも栄太は人によって魚の値を変える。着物の質を見てたくさん払えると踏むと多めの値段で売り付ける。そして多く得た銭は干物屋へは納めず自分の懐へしまいこむ。
「その銭はどうすると?」
と尋ねると、
「里の親へやると」
と親孝行なことを言う栄太であるが、本当は自分の酒を買うのに使っている。売値の誤差に気づく庄衛門を手なずけるために、
「団子でも買って食え」
と銭を渡し、庄衛門が団子を買いに行っている間に自分は酒を買うのだった。
庄衛門は持ち前の記憶力でお得意様を次々と覚えていった。不思議と庄衛門がいると多めに買ってくれる。生来の愛嬌の良さをここでも発揮する庄衛門は十五歳になると一人で売りに行かされるようになった。
御船の路上で庄衛門が干物を売るようになったために、栄太がお得意様を回って最後に道で売ろうとしてもてんで売れない。客を取られてしまっては酒を買う銭も手に入らない。困った栄太は庄衛門に熊本へ売りに行けと指導した。
御船から四里離れた熊本の城下町は醸造の町である御船とは趣が違う。刀を差した武家人が歩いているし、庄衛門が見たこともない艶やかな着物や髪飾りが売られている。それを裕福な町人や武家屋敷の使用人たちが高い値で買っていく。
栄太がしていたように庄衛門も質の良い着物や買い込んだ荷物の多さを見て値を高くするようにした。すると御船の三割増しの値段でも飛ぶように干物は売れた。たっぷりの銭を手にした庄衛門は裕福な町人になったような気分になり、ここでも栄太を見習い少しばかりの銭は自分の懐へ入れるようになった。貯めた銭でお菊や登立のみんなにきらびやかな腰ひもや髪飾りや砂糖菓子を買って送った。みなから偉くなったもんだと褒められてますます熊本での干物売りに精を出すようになり、毎朝大きな籠から溢れるほどの干物を背負って活き活きと熊本へ通った。
算盤も使わず値段を計算する庄衛門の評判は広がり、持ち前の愛嬌の良さで常連客が増えていく。客との会話も楽しめるようになってきた時、あることに気づいた。武家人は腹で開いた魚を嫌がるのだ。背開きで頭付きで目が入ったままの魚を好む。それで魚の開き方を教えてくれたトト吉に背で開いて頭と目玉もきれいに残すように頼んだ。そうしたところ、その干物は倍の値段で売れた。
背開きをしてくれたトト吉に酒を買って帰ると、ほかの者たちも背開きをするようになった。たくさんの魚が背で開かれるようになったが、作れば作っただけ売れた。常連客から屋敷へ売りに来てほしいと頼まれて、一軒の屋敷へ通うようになったら、うちにも来てほしいと近所の屋敷からも声がかかり、売りに行く屋敷の数が増えていくのだけれど干物が足りない。そこで干物屋の主人に相談すると、これを商機と見た主人は土地を開墾して干物を干す量を二倍三倍と増やせるだけ増やし始めた。そして魚を卸してもらう漁師の村の数も二つ増やした。
規模を急激に拡大して熊本での商売が安定し始めた三年後、魚を買い取る番頭が体調を崩すようになった。買い取る量が増えても一人で買取をしているが為に、過労で寝込むようになったのだ。それで暗算で素早く計算できる庄衛門も魚の買取をするようになった。
熊本へ行けなくなりがっかりする庄衛門であったが、番頭に抜擢されたことを、「さすが坊ちゃん。頑張りなされ」とお菊は手を叩いて喜んだ。そんなお菊の豆腐屋も庄衛門の働く干物屋の干物を買い取る常連になっている。
番頭と庄衛門が横に並んで魚を買い取るのだが、庄衛門のところに番頭の倍の長さの列ができる。買い取る速さも倍の庄衛門であったからなんなく長い列をさばいていく。ここでも庄衛門の愛嬌の良さは功を奏し、魚を売りに来る漁師たちからの信頼も厚くなり庄衛門が事実上の番頭のようになっていった。庄衛門十八歳の時のことである。
珍しい魚や数の少ない魚を番頭が買い取り、残りを庄衛門が買い取るという区分けが自然とでき上がり、毎日たくさんの魚の買い取りをさばいていく庄衛門であるが計算を間違えることはない。冴えた頭で計算しながら漁師たちとの会話も楽しむ庄衛門は、次第にこの仕事が自分に合っていると思うようになった。熊本へ売りに行くことへの未練もなくなり買取に励んで三年が経った時、買取担当の者が一人増えた。それと同じくして新しい漁村が魚を売りに来るようにもなった。干物屋の主人がまた規模を大きくしたのだと思ったのだが、そうではなかった。
主人が買取担当を一人増やしたのは庄衛門のためであった。毎日忙しく買い取る庄衛門の負担を減らそうと主人が気遣ったからで、これ以上規模を大きくしようなどという意図はさらさらない。偶然にも買取担当を増やした途端、新しい漁村から魚が持ち込まれるようになったのだ。
持ち前の人懐っこさで庄衛門は新規の漁師たちともすぐに打ち解けた。買い取る短い時間にたわいないおしゃべりをしていた時、意外なことを知った。この新しい漁村はもともと御船の魚醤屋に魚を卸していたのだが、その魚醤屋が潰れたために干物屋へ魚を卸しに来るようになったと言うのだ。
庄衛門は「御船の魚醤屋」を聞き流すことができなかった。なぜなら自分の生家は御船の魚醤屋であるとお菊から聞いている。しかも庄衛門の家であった魚醤屋も潰れたはず。ざわめく心が庄衛門の買取の手を止めさせた。
「なんで潰れたと?」
と尋ねたことで庄衛門の運命は大きく動きだす。
つづく
次話