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70 梅すだれ-御船

何か隠し事を持っているということは、心に隔たりが出来るものである。鈴と庄衛門の心の距離は同じ部屋にいても熊本城と江戸城のように遠く離れている。二人の冷めた関係は子どもたちにも反映され、母親にはなついている子どもたちであるが、庄衛門とはどこかぎくしゃくしている。それどころか、
「お父さんは醤油のことしか頭にないのですね」
と嫌味を言う始末。

その通りの庄衛門は精魂込めて醤油を作り続け、目標だった四つ目の蔵を建てた。使用人を二十人に増やし、屋敷はいつでも活気に満ちている。念願を成就したちょうどその年に、十六歳になった息子が嫁を貰った。鈴が見つけてきた娘で、庄衛門には鈴にそっくりに思える派手で元気のいい娘。鈴が二人になったようで居心地の悪さも倍になる庄衛門である。

目標を達成したことで力尽きたのか、はたまた長く精進してきたことが祟ったのか、醤油屋を始めた時から支えてくれていた定之助が心臓発作で倒れて死んだ。還暦を過ぎていたとは言え、元気に醤油作りに励んでいた定之助であったから、突然のことに庄衛門は意気消沈。定之助なしで醤油を作る気にはなれず、見るからに元気がなくなっていく。そして同じ年の暮れ、味噌屋の主人が亡くなった。年が明けるのを待たず、女将は全盲の娘を連れて故郷の日向ひむかへ帰っていった。遂に味噌屋が潰れたのだ。

醤油作りに精魂を尽くして蔵にいる時間が何よりも長かった庄衛門だったが、張りつめていた糸が切れたように庭にいることが多くなった。池を見つめてぼんやりとしている。

醤油作りを手伝う息子と折り合いの悪い庄衛門は、翌年隠居することを決めた。庄衛門が息子に醤油屋を譲ると言うと、すっかり疎遠の鈴は、
「好きになさればいい」
と無造作に言い渡した。このままこの家にいても邪険に扱われるだけ。庄衛門は家を出ることにした。

向かった先は天草。磔になって殺されたイエスをもっと知りたい庄衛門は、吉利支丹がより多い天草へ向かった。天草は菊の故郷であり庄衛門の育った大矢野島よりもさらに南にある。宇土の港から舟に乗りこむと南へと下った。

菊の家で除け者扱いを受けて育った庄衛門。干物屋では必死に奉公に励み、醤油屋を九州一の大きな店にした。そして遂に両親を殺した味噌屋を潰した。すべてが終わったのだ。穏やかな有明海を進んでいく舟には心地よい風が吹く。新しい場所で吉利支丹として生きるのにふさわしい爽やかな門出の風である。

吉利支丹の町と言えるほどに吉利支丹の多い天草には、教会などの集まる場所がたくさんあり、子どもたちはそこで教育を受けている。もし両親が処刑されることがなかったなら、庄衛門は吉利支丹の両親に育てられていた。その時間を取り戻すかのように、天草で吉利支丹として暮らすのだ。

天草は比較的気候の良いところである。本渡城の城下町のはずれ、広瀬川のほとりにあった空き家に住み始めた。ぽっと住み始めた庄衛門であるが、町の人たちは御船の大きな商家のご隠居さんが来たと言って受け入れた。

新しい住み家は御船の町の外れの干物屋を思い出させた。味噌屋のことなどてんで知らずに腹一杯食べながら干物を作って売っていたあの頃は幸せだった。あの暮らしが愛おしく思い出される庄衛門は川で釣った魚を醤油に漬けて天日干しにし、干物にして売り始めた。たくさん売ることは考えない。自分の食べる分より余分に釣れた魚を売り飛ばすだけ。客から少しでも多く銭を取ろうなどとやましいことも考えもない。干物が売れたら教会へ行き神父の説教を聞く。こうやって毎日が軽やかに過ぎていった。

ところが半年が過ぎた時、圧政に耐え兼ねた島原の吉利支丹が一揆を起こした。ほどなくして呼応するように天草の吉利支丹も一揆を起こした。あろうことか庄衛門の住むすぐそばの本渡城を攻めたのだ。庄衛門は戦を避け二里北にある山の中へ移り住んだ。川のほとりに一人用の家を、周りには畑もこしらえて自給自足の気ままな暮らしを始めた。そうしたところ、どうやって知ったのか菊から文が届いた。八十路に入った滝の体調が良くない。会いに来てほしいと書いてある。それで久しぶりに庄衛門は肥後へ戻った。

久しぶりにくぐる豆腐屋「盛満」の門。相変わらず手入れが行き届いていて繁盛していることが伺われる。体調を心配して急いで駆けつけたのだが、滝は床に伏すこともなく座っていた。以前と変わらず元気に見える。
「お身体からだは良いのですか」
と尋ねる庄衛門に滝は目を細めた。
「天草は戦でしょ。しばらくここにいなさい」

滝と菊は庄衛門を心配して甘木へ避難させただけで、滝は年はとったものの体調を崩してなどいなかった。それで落ち着くまで庄衛門は豆腐屋に居候をした。すると数日した時、長男が会いに来た。
「お父さん、ご無事でなによりです」
とつんけんしていた以前とは全く違って殊勝な物言いになっている。

醤油屋を引き継いだ息子は、醤油作りの大変さを身に染みて知った。子どものころは醤油のことしか考えていない父に反感もあったが、今ではたった一代でここまで大きな醤油屋を作った父を尊敬するようになっている。
「戻ってきてくれませんか。お母さんのことは説得しますから」
懇願する息子に庄衛門は、
「あとはおまえがやれ」
と断った。あの屋敷へ戻る気はない。庄衛門にとって醤油を作ることは復讐なのだ。仇をとった今、もう醤油を作る理由など微塵もない。肩を落とす息子に、
「おまえならやれる。がんばると」
と発破をかけて追い返した。

ほどなくして天草の吉利支丹たちは益田四郎の指揮のもと、有明海を渡り島原の原城に移動して立て籠もった。反乱軍は去り天草に平穏さが戻った。それで庄衛門は天草へ戻ろうとしたのだけれど、海の向こうとは言え戦いは続いているのだからまだ危ないと止める滝と菊。
「ではもうしばらく」
と庄衛門は豆腐屋に居続けた。

年が明けてもまだ戦は終わらない。いつまで続くのか。人々が口にすることは原城のことでもちきりである。幕府は原城を攻めあぐね、たくさんの武将が次々と日本各地から送り込まれてくるのだが、誰もが撤退を余儀なくされている。死者は千人に膨れ上がった。

ある日、豆腐屋の振り売りが熊本の城下町でこんなことを聞いてきた。佐伯扇ノ介が討ち死にしたと。魚醤屋を皆殺しにした張本人、佐伯扇ノ介は七十歳という老齢にも関わらず、島原の乱に参戦すべく九州へ舞い戻っていた。戦好きの性分に火が付いたのだろう。
「吉利支丹を皆殺しにしてやる」
と老体で乗り込んできたのだ。しかし返り討ちにあい戦死した。鬼と呼ばれた佐伯の死を城下町では、
「吉利支丹が鬼を討った」
と囃し立てている。
「庄衛門、佐伯が死にましたよ」
滝と菊が顔をほころばせるのを見て庄衛門は悟った。あれだけ味噌屋の不幸を喜ぶなと言っていたけれど、二人とも本当は嬉しかったのだ。憎い仇敵の不幸が。なぜ許せるのかと、滝と菊を憎く思った時もあったけれど二人とも許してなどいなかった。

その夜、滝と菊は珍しく酒を飲んだ。酔った滝はこうもらした。
「信じていました。この日が来ることを」
しみじみと目を閉じる滝の耳には、
「ねえちゃん」
と桐の声が聞こえる。涙を流す滝。菊も、
「奥さま…旦那様…」
とすすり泣いた。

庄衛門は大きな過ちに気づいた。両親の記憶などほとんどない自分なんかより、もっと深くもっと強く、滝と桐は憎んでいたのだ。
「庄衛門、お前はまだ若い。自暴自棄にならず長く生きなさい。長く生きるとわかることがありますよ」
滝に言われてもすべて成し遂げた庄衛門にはピンと来ない。醤油も復讐もやり尽くした。これ以上何があるというのか。

何をするともなく豆腐屋の中庭を眺めて過ごす庄衛門に、滝は墨絵を見せた。生まれ故郷の浦賀、思春期を過ごした雑賀、希望に満ちた御船の飯屋、落ち着いた暮らしの甘木の豆腐屋など、滝の人生を辿る絵図である。滝の人生は桐の人生でもある。母の生きてきた道を知った庄衛門は、無性にマリア様に会いたくなった。両親が熱心に祈りを捧げたマリア様に。魚醤屋「木倉」の穴の中に掲げてあったマリア様の絵は、天草の自分の家に飾ってある。滝と菊の反対を押し切って庄衛門は天草へ戻ったのだった。

つづく


次話


【目次】
甲斐の国
日向の国
肥後の国
天草
吉利支丹
御船
相模の国
雑賀
御船

時代小説「梅すだれ」



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木花薫
小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!