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33 梅すだれ-雑賀

雑賀には夕暮れ前に着いた。
荷下ろしが始まる前に荷物庫にいる娘二人を外へ出さなければならない。タカベはすぐに荷物庫へ降りた。昨日と同じように二人は隅に座っている。昨日は「父ちゃん」と立ち上がってきたが、今日の二人はぐったりしている。朝あんなに騒いだ滝もうつむいたままだ。こんな暗いところに二日間も閉じ込められていたのだから無理もない。幼い二人を不憫に思うタカベの心は痛む。
(お滝が意固地になって村に帰りたがるのは兄ちゃんが帰って来るからかもしれん)
大人しい桐と違って滝は我を張りやすい。そんなところが兄ちゃんにそっくりだ。洞窟の中に二日も隠れていたのも、こうと決めたら頑としてやり通す性格の滝が「あとから行く」と言った母親の言葉を信じて踏ん張ったのだろう。そんなところも兄ちゃんによく似ている。そんな滝が激しく村へ帰りたがるのは兄ちゃんが浦賀に戻って来るのがわかるからかもしれない。そう思うと雑賀へ越してきたことへの自信が揺らぐ。
(兄ちゃんも雑賀に来てくれるといいが)
祈るしかないタカベである。

二人を荷物庫から出すとタカベは船頭のダツに娘二人分の船賃を払った。
「あんな暗いところで悪かったなあ。姫さんを二人も乗せてたから海がご機嫌やったわ。はよう着いた」
と笑うダツに「ありがとうございました」とタカベは頭を下げた。
「船に乗りたくなったらいつでも言いや。乗せたんで」
タカベはもう一度頭を下げて船を降りた。入れ替わりに船に乗り込む者が五人いて、荷物を運び出す作業が始まった。

雑賀の港は浦賀よりも小さいが所狭しと船が停まっている。どの船も小ぶりなものが多い。その中でダツの船はひと際大きい。船を眺めるタカベのところへハモが来た。ハモが住むところを紹介してくれることになっている。
「こっちや。腹減ったやろ。まずは腹ごしらえや」
ハモに案内されてタカベたちは坂を上った。
「ダッさん、あないなこと言うてんけどなあ、ダッさんの船はすごいんやで。まっすぐ進むんや。ダッさんの目はお天道さんにあるんちゃうかと思うわ」
ハモは歩きながらダツの船頭としてのすごさを話した。
「一回ほかの船に乗ったことがあるんやけどな、ミミズみたいに右へ左へくねくね進むんや。倍の日がかかったで。下田や掛塚や、ようけ泊まんねん」
ダツが「右やめ」「左もっと強うや」と細かく指示を出していたのは風を読んで進路から外れないようにしていたからだ。それはタカベも気づいていた。タカベも船頭として浦賀と上総を行き来していたが、入り海であることから海は穏やかだし、前に見えている上総へ船を動かすことはたやすかった。それがダツは陸なんてどこにも見えない海の上で、行先へ向かってまっすぐに船を動かしていた。
(あんなふうに船を動かしてみたい)
船にはもう乗らないと決めたタカベだったけれど、(また船を)という衝動を搔き立てられるほどに、ダツの操術は見事だった。

「それだけちゃうんねん。ダッさんは天気もわかんねん。前にな、晴れとんのにダッさんが船を出さんくて。ほかの船は出てったんやで。そしたら出てった船は沈んでん。大きな嵐が来てな。それもダッさんはわかんねん。ダッさんの船に乗れるんは幸せもんやで。あの海に落ちたんは阿呆や。しこたま酒を飲んでな。小便が長かったわ。止まらんくてな、落ちたわ。運の悪い奴で船の下へ入ってもうてな。お陀仏や。あ、ここやで」

坂の途中にある飯屋へタカベたちは入った。店には数人食べている客がいる。ハモは慣れた動きで座敷へ上がると、
「めしやめしや!この子たちにも腹いっぱい食わせたってくれ」
と叫ぶ。その声に呼ばれて「ヒデ」と呼ばれる女が茶を持って来て、
「見かけへん顔やなあ」
とタカベ親子を眺めまわす。
「相模から来たんや。村打ちで嫁と息子を殺されてなあ。船頭をしとってん。海から帰ったら村のもんがみんな殺されとってなあ。この子らは勇ましいで。洞穴に隠れて生き残ってん。すごいやろ」
まるで自分のしたことのようにハモは自慢した。
「危なてそんなとこおれへんやろ。安心して住める雑賀へ越してきたちゅうわけや。家がひとつ空いた言うとったやろ。こいつらに住まわさしてやってんか」
何から何までハモが大げさな話し方で説明をすると、
「かわいそうに。殺されるとこは見てへんのやな。それが救いやな」
とヒデは滝と桐を憐れんだ。
「もう海には出たない言うてんねん。なんかすること探したってや」
ハモの言葉にヒデは奥の調理場へ向かって叫んだ。
「あんた。聞こえとったやろ。げんじいに頼んでや」
奥から顔を出したヒデの夫は頷くと裏口から出ていった。「いっしょに」とタカベがついていこうと立ち上がるとヒデは、
「ええからええから。あの人がうまいこと言うてくれる。まず食べえ。食べてからでええから」
とタカベを座らせた。ヒデの妹のアヤが椀にてんこ盛りのご飯を持ってきた。そのご飯のてっぺんには瓜や茄子の入った径山寺きんざんじ味噌と梅干が乗っている。
「この味噌は知らんやろ。これがあればどんだけでも飯が食えんねん。うまいでえ」
ハモはペッと唾を吐いて手のひらを濡らし、山のように盛ってあるご飯を手に取ると径山寺きんざんじ味噌を中にいれて握り飯にした。かぶりついてあっという間に平らげると、次は梅干しを中に入れてまた握り飯を作って食べた。あっという間に茶碗が空になったが、それがわかっているようにアヤがもう一杯持ってきた。がつがつと食べ続けるハモにつられて、タカベたちも食べた。アヤは青菜の入った味噌汁、高野豆腐、漬物、煮豆などあとからあとから運んできた。そのどれもおいしくて元気を取り戻した滝と桐は取り合って食べた。

ヒデはそばに座り込んで話し続け、ハモは米粒を飛ばしながら相手をしている。しばらくするとヒデの夫が帰ってきた。
「げん爺ええて?」
とヒデに訊かれた夫はこくりと頷いた。ハモはこの店に通って十五年が経つが、ヒデの夫の声を聞いたことはない。口がきけぬわけでもないのに話さない男である。アヤの声も聞いたことがない。アヤの声は聞いたもの者は一人もいない。姉のヒデでさえ聞いたことがない。アヤは生まれつきの聾啞者で声が出せないし、耳も聞こえない。人の唇を読んで何を言っているのかを理解している。ヒデが二人の分も話すから飯屋はいつでも賑やかだ。

食べ終わるとハモはタカベたちに別れの挨拶をした。
「じゃあ元気でな。わいは隣の村やねん。子どもらは同じ寺小屋や。娘はおたかいうねん。仲良うしたってな。じゃあまたな」
「ありがとうございました」
深々と頭を下げるタカベに、
「ええねん、ええねん、困った時はお互いさまや」
と笑いながらハモは出ていった。騒がしいハモがいなくなるとしんと静まりかえってそこはかとなく寂しいタカベである。ハモと違う村なのが惜しまれる。しかしハモに頼ってばかりもいられない。ここからは自分で何とかしていかねばならない。
(娘二人が安心して住める村だろうか)
不安な気持ちに負けてしまわぬようにタカベは背筋を伸ばした。すると膨れた腹からげぷっと気が出てきた。その音に滝と桐がくすくすと笑う。いつものように笑う二人にタカベは力が湧いてくるのを感じる。
(こいつらはおれが守ってやる)
気を引き締めるタカベはアヤの後についてげん爺のところへ向かった。

つづく


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木花薫
小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!