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69 梅すだれ-御船
庄衛門の息子が亡くなったことを悼んで、重が悔やみの品を持ってきた。
「そんなもの捨ててしまえ!」
と怒鳴りつけたい庄衛門であるが、鈴はよい隣人を持ったとありがたがっている。
怒りの収まらぬ庄衛門に、
「嫌がらせを受けるよりよっぽどましでしょう」
と言葉をかける滝だが、重の子どもが亡くなった時に悔やみの品を送ったことを思い出した。あそこから重は変わっていったのだ。
重からの悔やみで庄衛門の恨みはまた一段と強くなった。心を鎮めるためにどうしても父の唱えていた言葉を知りたい。それで庄衛門は七里離れた宇土にある礼拝所へ行った。顔を隠し女の着物を羽織り決して醤油屋の主人とばれないようにして。
礼拝には三十人ほどの人が集まっていて、マリアはもちろんイエスの像も飾ってある。十字に磔にされてうつむくイエス。その姿に庄衛門は自分が重なった。恨みに囚われて息子を失い悲嘆にくれる自分に。滝と菊が言うように息子を殺したのは自分の恨みの心なのだろうか。イエスに心奪われた庄衛門は洗礼を受けて吉利支丹になり、祈りの言葉を覚えようと足繁く通った。
ところが一月も経たぬうちにまた幕府から禁教令が出た。そして京都で五十三人もの吉利支丹が火炙りで処刑されたのだ。世に言う「京都の大殉教」である。吉利支丹というだけで殺される。恐ろしさに震える庄衛門である。
菊は庄衛門にマリア像を渡したことを後悔した。長崎で大量に吉利支丹が処刑された後に旦那様たちは殺された。庄衛門が二の舞になるのではと心配でならない。
菊の心配を当然だと受け止めた庄衛門は、夜礼拝に行くことをやめた。両親がしていたように蔵の下の穴でひとり礼拝を続けた。父の唱えたあの言葉を唱えながら。
天に御座ます我等が御親
御名を貴まれ給へ
御代来り給へ
天にをひて御おんたあでのまゝなるごとく
地にをひても在らせ給へ
我等が日々の御養ひを
今日与へ賜び給へ
我等より負ひたる人に赦し申如く
我等負ひ奉る事を赦し給へ
我等をてんたさんに放し玉ふ事なかれ
我等を凶悪より逃し給へ
祈りが効いたのか、翌年鈴が娘を産んだ。たいそうな喜びようで大事に育てる鈴である。味噌屋から祝いをもらい、庄衛門はにぎにぎとした気持ちを深夜の礼拝でどうにか落ち着かせている。二年後には息子も生まれた。跡継ぎが生まれたことで滝と菊もよかったと喜び、庄衛門は醤油屋をもっと大きくすることに精を出した。
翌年もう一人男の子が生まれた。数年経つと屋敷の中や庭を子どもたちが走り回っている。毎日が賑やかで笑顔が絶えない。走り回る子どもたちを見て庄衛門は思い出した。廊下を走り回ると菊が「ぼっちゃん」と言って追いかけてきたことを。それに加えて庭に出てはいけないと連れ戻されたことも思い出した。味噌屋が糞尿を庭に撒いたりして嫌がらせをしていたからだ。池は濁り泳ぐこともできなかった。
そのことを思い出すと味噌屋への復讐心が再燃する。
しかし鈴は味噌屋の女将や重とうまくやっていて、好感さえ持っている。嫌がらせをするという噂があったが、なんのどっこい、とてもいい人たちだと楽しそうに味噌屋の話をするのだ。聞くたびに頭にくる庄衛門である。機嫌の悪くなる庄衛門は夜こっそりと穴へ祈りに行く。夜こそこそと出かける庄衛門に鈴はあらぬことを考えた。元々悋気の強い女でもある。
「どこぞに気に入った女がいるのですか」
と庄衛門を問い詰めるようになった。蔵で醤油の様子を見ているだけだと言っても、納得しない。次第に不仲になっていく夫婦仲。今の家族のことよりも庄衛門の気持ちは幼いころに失った両親と兄たちのことに囚われている。自分から家族を奪った味噌屋が許せない。味噌屋への恨みを原動力に、今ある家族を顧みずに醤油屋を大きくすることに力を尽くす庄衛門である。
ある日、味噌屋の娘の片目が見えなくなった。鈴はかわいそうにと憐れんでいるのだが、庄衛門は喜びを隠せない。味噌屋の不幸こそが庄衛門の喜びなのだ。ほくそ笑む庄衛門をさらに喜ばせるように、味噌屋の息子に手足のしびれが出るようになった。 うれしそうな庄衛門に鈴は、
「隣人の不幸を喜ぶとは何事ですか」
と不満をあらわにした。
滝と菊は嬉しそうに味噌屋の子どもの不具を話す庄衛門に、懸念を抱いている。
「そのような心では不幸を招きますよ」
「そんなことを喜んでいて、自分の子どもがそうなったらどうするのですか」
二人からたしなめられても殺された恨みのほうが強い。味噌屋の止まらない不幸に庄衛門の心は喜び踊る。
数年後、味噌屋の娘は全盲になり息子は起き上がることもできなくなった。旦那も腰を悪くして杖を突いている。女将はしみの目立つ顔で年中どこかを痛がっている。重は歩くこともままならずとんと姿を見せない。客足は途絶え、あからさまな味噌屋の凋落に庄衛門の喜びはひとしおである。
庄衛門の長男が七つになった時、重が死んだ。鈴はえらく悲しみ、悔やみを持っていこうとする。庄衛門はやめておけと言いたいがそうもいかない。不満気な顔で承諾をした。その時も鈴は、
「お隣さんが亡くなったというのに悼む気持ちもないのですか」
と庄衛門を責めた。
味噌屋の不幸はまだまだ続いた。跡継ぎの息子も死んだのだ。重の亡くなった息子と同じく癲癇であったらしい。夜中に発作を起こして死んでしまった。婿をとるにも娘は全盲。もう味噌屋は終わったと笑いの止まらない庄衛門である。嬉しそうな庄衛門に「人でなし」と鈴はなじった。
瀕死の味噌屋に引き換え、庄衛門の醤油屋は蔵を一つ新設して三つの蔵で醤油を作っている。醤油屋を始めるときに庄衛門が目標に掲げた四つの蔵まであと一つ。肥後はもとより、東は豊後、南は薩摩、西は長崎へと出荷していて両親の魚醤屋に勝るとも劣らない勢いである。重が死に潰れかかっているとはいえ味噌屋はまだ健在だ。庄衛門の恨みが消えることはない。あと一つ。もう一つ蔵を建ててやると必死に醤油を作った。
醤油作りに欠かせないのは温度管理。季節はもちろん日々の天候や朝と夜で変わる気温に敏感に対応してこそおいしい醤油ができる。特に麹菌は湿度も大事。自分の子どもたちのことは鈴に任せっぱなしにして、麹菌を手塩にかけて育てる庄衛門である。
深夜皆が寝静まっても庄衛門は一人起きている。醤油の温度調整をしに蔵へ入り、それが終わると穴の中へ入る。マリア様に祈るだけではない。父に話しかけ、母に話しかける。店を引き継いでいくはずだった兄たちにも、その無念を晴らすがごとく店の進捗について話しかける。そうすると両親と兄たちが醤油屋の商売繁盛を喜び励ましているように感じるのだ。穴の中こそが庄衛門にとって家族との安らぎの場所になっていたのだった。
つづく
次話
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