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19 梅すだれ-天草
深くイエス・キリストに心酔する松之助であるが、懸念もある。あの集まりに一緒に行った五人のうち二人は同じ村の者だったのだ。それに加えて村は違うが埋め立て作業で見たことのある者が一人いた。
ほっかむりで顔を隠してはいたが体格や着物、歩き方でわかってしまう。話したことのない三人だが間違いない。その三人はいつも一緒に埋め立て作業をしている。あの次の日から三人が自分を見ているような気がするのだ。こちらがわかるのだから向こうも松之助のことが分かっているのだろう。
松之助の心配は日に日に恐れへと変わっていった。この村に吉利支丹はどのくらいいるのだろう。隠れキリシタンの村になってしまっているのだろうか?だとしたら大変だ。猿彦から聞いた話を思い出して鳥肌が立つ。
伊予への未練から猿彦に故郷の話をしたことがあった。その時、猿彦の故郷について尋ねたのだが、猿彦は言葉少なに村はもうないと言った。伝染病が蔓延して焼き払われてしまったと。
(この村も焼き討ちされるかもしれん)
益田四郎率いる三万人を殺した幕府だ。こんな小さな村なんぞ、いとも簡単に潰してしまえるだろう。
父親である作之助に言おうか?いや、そんなことをしたら伴天連の集まりに行ったことがバレてしまう。それも松之助にとっては大事だ。何よりも村が大事な作之助なのだから、殴られるだけでは済まないだろう。殺されるかもしれない。作之助には決して知られてはならない。
何かよからぬことが起こりそうで気が気ではない松之助は、もうあの十字の彫られる木の辺りに近づかないことにした。伴天連の集まりに行ったことなどなかったことにしようと、三人の吉利支丹のことも考えないように努めた。しかし、イエスのことはどうしても考えてしまう。松之助の苦しみさえも引き受けたイエス。イエスの背負った受難のおかげで自分はこうして生きていられるのだと思えるのだ。そしてその思いが生きる力となっている。
土を掘って台車に乗せるだけの単純な作業であるから、頭の中で伴天連の話を何度も繰り返した。
「山に『立ち上がって海に飛びこめ』と言って、そうなると信じているのならそうなるとイエス様は仰ったのです。禁令が解かれると本当に信じていればそのとおりになります」
海の埋め立てが終わる時、禁令はきっと解かれるだろう。そしてそれと同時に、作之助という生まれながらに立ちはだかる大きな壁も越えることが出来るかもしれない。松之助は密かにそんな期待をし始めている。
埋め立て作業を頑張っていると悩ましい不安を期待へと変えられる。小さく燃える炎の火を守るように、大それた希望を胸の奥に隠して作業に没頭していたが、松之助の知らないところで事は進んでいた。
村の重鎮のひとり、天草出身の太郎兵衛は耳を疑うことを聞きつけた。松之助が吉利支丹だと言うのだ。すぐに作之助の片腕であり阿波の国から移住してきた馬四郎の耳に入れた。
馬四郎は作之助たちより一月遅れで天草へ来た。故郷が近くて話し方も似ていることから、作之助と意気投合して良き相棒となっている。
地元民の太郎兵衛はそんな二人をずっと支え続けている。四国から来た二人にはわからない天草の土地や人について教えたり、九州からの移住者をまとめたりしている。
島原の乱での吉利支丹たちの悲惨な最期を知っている太郎兵衛は、この噂を聞き捨てることなどできない。しかし深刻な表情で話す太郎兵衛に対して馬四郎は、つまらない噂だと一笑に付すのだ。馬四郎が笑えば笑うほどに、太郎兵衛の顔は険しくなった。
「火のないところに煙は立たんと。作之助さんに確認した方がいいと」
いつにもなく真剣な太郎兵衛に押された馬四郎は、
「変な噂がある言うてるわ。まっつんが吉利支丹やて」
と作之助に軽い調子で話した。
「なんやそれ」
と作之助も鼻で笑ったが、すぐに
「なんでそんな噂が出てるんや」
と怪訝な表情になった。
「わからん。ただの噂ちゃうか?」
あくまで楽観的な馬四郎だが、作之助にはただの噂にしては不穏だとひっかかった。
天草へ来た時は四家族の二十人に満たない小さな村だった。それが今は二百人を超えている。せっかくここまで村を大きくしたと言うのに、聞き流して大事になっては困る。そんな噂はきれいさっぱり消してしまわねば、どんなとばっちりを受けるかわからない。近くの村を吸収合併して二倍の規模に拡大しようと動いている今だから、作之助は慎重に考えた。
(大きくなっていくこの村を潰そうと誰かが企んでるんか?いや、松之助を妬む者の策略か?松之助はわいに似て頭が切れる。若いもんはわいより松之助のことをよう聞く。まだ十六や言うのに若頭として埋め立て作業の中心になって。そんな松之助を蹴落とそうとするもんがおるんやろうか?)
松之助が吉利支丹だと疑うことは微塵もなく、作之助は考えを張り巡らした。そしてその晩、ご飯を済ませると馬四郎のように軽い調子で松之助に言った。
「松之助、おまえが吉利支丹やていう噂があるて。吉利支丹の集まりに行ってるて」
「なんやそれ」と笑い返すと思っていたのに、なんと松之助は暗い表情でうつむいたのだ。その様子に作之助の顔色が変わった。
「おまえ、行ってるんか?」
目をぎゅっとつぶり、吐くように松之助は答えた。
「一回だけや。一回行っただけや」
「ぁ・・・」
作之助の口から言葉は出なかったが、手は出た。バチンと大きな音がして松之助が頭から床へ倒れ込んだ。その頬はみるみる真っ赤に腫れあがった。
「おまえなんちゅうことしてくれたんや」
言葉を取り戻した作之助の手はしびれている。
「堪忍や、もう行かん、もう行かんから許してくれ」
目からは涙を、口からはよだれを出しながら叫ぶ松之助。そんな愚息を見下ろして立つ作之助は興奮おさまらず荒い息を吐き、つぶやくように訊いた。
「村のもんがおったんか?」
項垂れるように頷く松之助に、作之助は「はあ」と息を吐き出して座り込み頭を抱えた。
一度来ただけなら偵察をしに来たのだと思われたのではないか?同じ穴の貉だと知らしめようとしているのだろうか?これは一大事になった。この噂が外へ出る前に手を打たねば村ごと皆殺しにされるかもしれない。
薄い頭を掻きむしりながら作之助は考えた。
(どうにかせんといけん。今すぐに)
「あんた」
作之助の妻、お里が声にもならぬ声を出した。すると娘のお清が叫んだ。
「わいら首切られるんか?!」
その声に松之助は膝を抱えて丸くなった。
(なんてことをしてもうたんや)
と後悔しても遅い。このまま石にでもなってしまいたい思いである。
「だいじょうぶや、もう寝え。心配せんでええけんね」
気を取り直したお里は気丈にもそう言ったが、胸がつかえて息をするのも苦しい。
「なんで首を切られるんや?」
末の息子、栗之介が不思議そうにお里にきいた。
「切られやん。そんなことあるわけない」
栗之介に言いながら、自分に言い聞かせてもいるお里である。いつものようにお清と栗之介を隣の部屋へ連れて行き、床へつかせた。
「松之助、お前も寝え」
芋虫が動くようにゆっくりと、松之助も床へ入った。しかし眠ることなどできない。妹、お清のすすり泣きが両手で耳を塞いでも聞こえてくる。これからどんな恐ろしいことが起こるのか。自分のしでかしたことの恐ろしさに松之助の体は震えが止まらない。
その夜、作之助は一晩中頭を掻きむしりながら座り込んだ。
(何かいい手はないか)
必死に考え続け、朝日が顔を出す頃に心が決まった。
絵踏み。
伊予で兄たちが行ったように、絵踏みをするしかない。自ら身の潔白を証明するのだ。
作之助の行動は早かった。夜明けとともに絵踏みの準備に取り掛かったのだった。
つづく
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