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50 梅すだれ-御船
春になり田植えを終えた頃、宿場や港に人が増えてきた。遂に滝と桐が飯屋を始める時が来た。二人は開店の挨拶をしに宿屋と市場を回り、客に飯屋のことを言うように頼んだ。そのおかげか新し物好きがぽつぽつと食べに来たのだが、何故だか京都のごちそうが食べられるだとか、鎌倉の珍しいものが食べられると思い込んでやって来るのだ。一体何を言いふらされたのかと呆れるが、金山寺味噌をありがたがって食べていく。金山寺味噌がおいしいという噂が徐々に広まり、ある日刀を差した侍がやって来た。
六尺(180cm)はある大きな体と四角い大きな顔。太太と生えた眉には貫禄がある。今までにも侍は食べに来たがこれまでの誰よりも堂々とした立ち姿である。
侍は店に入ると入口の横に座った。侍たちはいつでもそこに座る。それは敵が来た時にすぐに店の外へ逃げられるからなのだと、マサが言っていた。
(お偉い侍だろうか?)
武人嫌いの滝はごくりと生唾を飲んだ。強張る顔のまま「いらっしゃい」と白湯を出すと案の定、
「鎌倉の珍しい味噌をたのむ」
と言われた。
金山寺味噌がすっかり「鎌倉の珍味」になってしまっている。西の果ての九州からしたら紀国も鎌倉も同じなのかもしれない。しかし御船に来てからの滝は「雑賀」にこだわるようになっている。
時に行き苦しさを感じた雑賀の自治組織であったが、そのきめ細やかな世話のおかげでどれほど住みやすかったかを実感している今では、思い出すのは浦賀ではなくて雑賀のことばかり。雑賀で教えてもらった味噌を鎌倉の美味しい味噌だと勘違いされることは心外で、浦賀ではなくて雑賀で教えてもらったものだと訂正せずにはいられない。なので「鎌倉ではなくて紀国の美味しい味噌」だといちいち説明することを面倒臭がらずに徹底している。
「紀国?おまんらは鎌倉から来たんと違うとか?」
そこで滝は生まれは浦賀で雑賀へ引っ越したことを話した。引っ越した理由である村打ちにあった話をしていたら、戦をする侍を責める気持ちがこみあげてきた。そもそも侍たちが戦をするから、戦で敗けた残党が賊になり村打ちをするのだ。いかつい姿の侍を前に侍への恨み節を、まるで平八郎が乗り移ったように滝はまくしたてた。
責め立てる声は厨房の桐の耳まで届いた。一体何事かと桐が座敷を覗くと、大きな侍に喧嘩を売るように滝が威勢よく責め立てている。侍が怒って滝を刀で切ってもおかしくない。慌てた桐は座敷へ飛び込み「ねえちゃん」と止めたがもう遅い。滝は存分に母と弟を殺された恨みを言い尽くした後だった。
息の止まる思いの桐であるが、この侍は恰幅の良い見てくれには不似合いに情の深い男であった。
「それはかわいそうなことと」
と目尻と口角を下げて滝たちを憐れんだのだ。まさかそんな言葉を言うなんて。桐は意外さに侍を凝視した。そして気づいた。この侍の目の奥には優しさが満ちていることに。きっとこの目だから滝は言いたいことを言ったのだろう。それにしても滝らしくない振る舞いだ。不満を内にため込んで黙り込むのが滝だったのに。桐は滝が御船に来てから変わっていくのをひしひしと感じている。変わると言うか元に戻ると言ったほうが正確かもしれない。浦賀から雑賀へ越してきた当初、「浦賀へ帰りたい」と父親を責め立てた滝に戻っていく。
一方、滝は侍が滝たちを不憫だと理解してくれたことで心がすっとした。気分よく尋ねられるがままに自分たちのことを包み隠さず話した。
「おやじさんはどしたと?元気とか?」
「父ちゃんは雑賀にいる。雑賀が天国だって」
雑賀の村では寺の主導する自治組織がどれほど村の人たちの面倒を見ているかを語り、父ちゃんは雑賀を離れたくないと話した。ただし寺が戦に参加することでマサの住む阿波では五千人もの人が死んだことも付け加えた。すると侍はこれまた、
「三好のことは聞いとっと。むごかことと」
と気の毒なことだと悼んだ。
そんな侍を見ていたら滝はもっと話したくなった。それで九州の大友のお殿様が理想の国を作っているという噂をマサが堺で聞きつけて、妹の桐も連れて三人で御船へ移ってきたことを詳しく聞かせた。すると侍の顔はパッと明るくなり、
「大友家は天下無敵と。おまんらはよき選択をした」
と声を張り上げた。
この侍は大友家の水軍の大将、上野鑑稔の家臣で名を小佐井観兵衛という。上野家は古くからの水軍の家系で、豊後の沿岸守備に加えて明との貿易における航海も担っている。大友家の要とも言える水軍を率いている。
土佐の一条家と伊予の河野家が争った時、土佐の一条家には大友家、河野家には毛利家が援軍を出した。その際、大友家の上野水軍と毛利家の村上水軍が戦ったことがあった。村上水軍は頼まれれば大名のために戦うが、それ以外は海賊としてやりたい放題。海をあらす困り者、ただの賊である。それに比べて上野水軍は海賊行為を行わない。それどころか海賊を取り締まっている。そのことから大友家から「海の武士衆」と呼ばれて信頼が厚い。
マサの故郷である阿波の三好家と言えば、支配下の讃岐から瀬戸内海を渡り備前の毛利家を攻めたことがある。同じ敵である毛利と戦った三好の阿波から来たマサを、小佐井が気に入ったのは言うまでもない。
そしてこの頃海外貿易が盛んな自由貿易港は二つあり、一つは会合衆による堺、もう一つは大友家の支配する博多である。博多では年行司と呼ばれる町役人が町人から選ばれ、貿易で富を得る豪商たちをまとめている。博多に次ぐ商業都市、堺港で大友義鎮公の名君ぶりが流布されていることを知り、小佐井の機嫌がよくなったことはこれまた言うまでもない。
さらに大友家は元は相模の大名であった。鎌倉幕府から豊後の守に任じられたころで相模を北条家に乗っ取られたが、今では豊後の一国に留まらず九州の半分を支配する大名となっている。相模の国から来た姉妹に奇妙な縁も感じる小佐井である。
金山寺味噌をのせたご飯を大盛で食べた小佐井は「三人で頑張ると」と励まし、三倍の銭を置いて帰っていったのだった。
つづく
次話
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