見出し画像

9 梅すだれ-肥後の国

それから一か月もの間、猿彦は船の上でぐったりと横たわったまま過ごした。心配する浜次郎が「食べろ」と魚を持ってきても食べない。何故なら漁師たちは釣った魚を生のまま食べるから。生魚なまざかななんて食べたことのない猿彦には、ぶにゅりと柔らかい魚の肉はとてもじゃないけど食べられない。お腹が受け付けないのだ。一度食べてみたが腹をくだしたこともあり絶食状態になっている。

大量の魚を乗せて有明海へ戻ってきた時、小舟で近づいて来た天草藩に魚を二割取られた。もう一隻寄ってきたのは島原藩で、また二割取られた。そしてもちろん浜へ着くと肥後藩にも二割取られた。結局半分も残らない。漁師たちが命がけで獲った魚を当然の顔で横柄に取っていく役人たちに、猿彦は天野原のことを思い出した。

(どこも同じと。取る者と取られる者がいる。大きな国だと取る者も多い)

やっと揺れない陸へ上がったと言うのに、搾取される側のままの猿彦の心は沈んだままである。

しかし漁師たちは少なくなった魚に文句も言わない。ニコニコ、いや、ニヤニヤしている。と言うのも、船の底は二重になっている。その一番下の船底いっぱいに、役人の知らない魚がたんまりと敷き詰めてあるからだ。

「あいつらは船のことなんてなんも知らんと」

あざけり笑い、次々と船底から魚を取り出していく。

獲ってきた魚は洗濯物を干すように海岸にずらりと干された。この魚がこの村の主要な栄養源なのだ。

家へ帰ると子どもたちが「お父ちゃん、おかえり」と浜次郎に抱きついてきた。

「たくさん獲れたと」

三か月ぶりの再会を喜び合う親子の姿。それは幼少から家族と打ち解けることもなく森で過ごすことの多かった猿彦には、後ろめたいほどに眩しい。

浜次郎が面白おもしろ可笑おかしく猿彦の失態を話すと、
「猿を船に乗せるからと」
とタイが笑う。そしてもちろん子どもたちも、
「サルは泳げんとか?」
「本物の猿と」
と笑った。

 笑いの絶えない浜次郎の家で、猿彦もたくさん笑うようになった。しかし船にはこりごり。船に乗ることはやめて、北にある「お城」と言うのを見に行った。

 北の山の手前に聳え立つ熊本城。それは見たこともないほどの巨大な建築物だ。石垣を土台に三層に積み重ねられている。周りにも少し小さい建物があるのだけど、小さいものさえ猿彦には途轍とてつもなく大きく見える。

今まで猿彦が見た一番大きな建物は天野原のやしろである。二十尺(6m)の高さまで続く階段の付いた天へ届くと思われるほどに高い建物だ。階段を上ると部屋がある。空に浮かんでいるように見えるそこが神様の住む場所だ。そこに入れるのは神官だけで、山ノ影の猿彦は社に近づくことさえ許されていない。

しかしここのお城はそれを囲む堀の際まで近づける。見上げる瓦葺かわらぶきの立派な屋根は光り輝いていて、茅葺かやぶきの屋根しか知らない猿彦には、この輝きこそが神の住む家に思える。

「すごいと」

思わず声を出すほどの神聖さだが、そこに神様など住んでいない。「細川」というお殿様が家族と住んでいる。つまりは人間の住む家なのだ。

「人間が住んどるとか」

あまりの巨大さに圧倒された猿彦は、殿様は現人神だと大きな憧れを抱いた。そしてこの城が見下ろす城下町で生きることにした。浜次郎が朝獲ってきた魚を分けてもらい、それを城下町で売り歩くのだ。

山ノ影では物々交換であったから銭のことを知らない猿彦である。しかし不思議なことに少なく払う者はいなかった。相場の一匹四文を律儀に置いていく。売れ行きはよくて常連客が増えていき、客に請われれば得意の石刃ではらわたを取り除き、七輪で焼いて売ることも始めた。

相変わらず寝泊りは浜次郎の家でしている猿彦は、売上金をすべて浜次郎に渡している。意外にも商売のうまい猿彦に喜ぶ浜次郎は、持たせる魚の量をどんどん増やした。それでも昼過ぎには完売して家に帰って来る猿彦である。

そうやって調子よく魚を売っていたところ、通りかかった男にこんなことを訊かれた。
「それはどこの黒曜や?」
男の首には細長く先の尖った小さな黒曜石がぶら下がっている。魔除けの首飾りだ。
日向ひむかのと」
「天野原か?」

頷く猿彦にその男は、
「あそこはえらいことになって。下の村は一つ潰れてたで。気の毒や」
と天野原で赤痢が蔓延して半分の人たちが亡くなったと話した。

この変わった話し方の男は大坂から来ている。京都の念珠屋の石の仕入れをしているのだ。

「焼いたの一匹もらうわ。ええ黒曜持ってるな思て。どうやって手に入れたんや?」

猿彦は魚を一匹串に刺して焼きながら答えた。
「西野原の石丸からもらったと」
「石丸?細工師の息子か?」
「石ちゃんを知っとっと?」
「細工を頼んで来たばっかや。何丸やったかな、あそこの息子も一人死んだ言うてたなあ」

石丸は四人兄弟の三人目。兄弟みんなが名前に「丸」がつく。心臓が止まらんばかりに猿彦は驚いた。
「西野原も赤痢になったと?」
「西野原は少ない言うてたけどなあ、何人か死んだ言うてたわ。おい、焦げるで」

呆然自失の猿彦は魚どころではない。男は自分でヒョイと魚を網から取り上げて六文払った。

「天野原はまた帰りに寄るで、伝言あるなら言うたるで」
「サルは元気とと」
「おまえサル言うんか?サルが魚を焼いとんのか。おもろいで忘れへんわ」

うひゃひゃひゃと笑いながら、男は行ってしまった。

(石ちゃんが死んどったら、おいはどうすればいいと?)

気が動転してそのあとのことは記憶にない。自分だけ生きているなんて、そんなことは許されない。ますます生きることに自信がなくなっていく猿彦である。

その日から、憧れていたあの大きなお城を見るのが嫌になった。天野原のことを思い出してしまうのだ。何をしても許される巨大な権力。人間を虫けらのように殺してものうのうと生きている。

売れば売っただけ売れる順調な魚売りだが、城下町にいるだけで気が重くなる。城下町の通りを歩いていくのは町人と武家人たち。農民と違って町人は華やかな着物を着ているし、武家人は刀を差したり髪を結ったりしている。見るからに違う種類だとわかるようになっている。初めはそんな違う人たちと対等に商売ができるこの城下町が好きだった。しかし自分が思っているような「対等」ではないのだ。

お金のことなんてわからない猿彦の魚は、買っていく者たちが勝手にお金を払っていく。相場は小さい魚で一匹四文。しかしはらわたを取ったり切り身にしたり焼いたり、注文どおりに手を加えれば金額を上乗せして払ってくれる。気前のいい人は十文も払ってくれた。そして奇跡的に決して四文よりも少ない金額を払う人はいない。なぜなのか。

タイが言うには、
「サルが魚をさばいたり焼いたりするから、珍しくて払うと」
と見世物扱いになっているという見解だった。

一度、浜次郎が「これで新しい着物を買え」と猿彦にお金を渡したことがあった。逃げてきた当時のまんまで、猿彦の着物はボロボロだ。海の食べ物はあまり口に合わなくてほとんど食べていないから、やけにやせ細ってもいる。見た目はまるで乞食。しかしタイが反対した。

「その格好だから、みんながお金を払うと。きれいなお召し物じゃ売れなくなると」

名前のとおり「猿」にしか見えない貧しい身なりへの憐みで魚が売れているのだと主張するタイ。

「おいの魚がうまいから売れると」
と浜次郎が反論するが、
「魚は誰が獲ってもおいしいと。身綺麗みぎれいなサルが売ったって売れんと」
と譲らない。
「そういうもんか?サル、どうすっと?」
「おいはこのままでいいと」
「ま、好きに使え」

浜次郎から銭をもらった猿彦は次の日、魚売りが終わると浜次郎一家のための反物を買った。持って帰るとタイは大層喜び、子どもたちに新しい着物をこしらえた。

猿彦は初めて「与える」ということをした。それには初めて感じる恍惚感があった。城下町では見世物でも、浜次郎一家をこうやって喜ばせてあげられる。それは魚売りを続ける意欲となり、生きる気構えを持ち直せたのだった。

つづく


次話

前話


いいなと思ったら応援しよう!

木花薫
小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!