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22 梅すだれ-天草

絵踏みの朝に姿を消した六一郎は二年前、十九歳の時に父である六郎太に連れられて天草へ来た。
「ここにいても結婚なんかできんと。んだが天草へ行くならクネを連れていける。おまえも来い」
と言われて移住をきっかけに吉利支丹の娘クネを嫁にもらった。

父の六郎太は小作人である祖父母の十三番目の子どもで、名まえのとおり六男坊である。たくさんの兄弟姉妹の中で食べるものを取り合って育ち、親から名まえを呼ばれるようなこともなく、いてもいなくても同じような存在だった。十五になると自分でこしらえた掘っ立て小屋で暮らし始め、吉利支丹の娘トチと一緒になった。トチも姉が七人もいる大家族の娘だった。

村の大地主の畑を耕しながら小さな家でトチと息子六一郎と三人で暮らしていた。子どもが一人なのは作らないように努力したからだ。
「子どもは一人で十分たい。ようけおっても困るだけと」
と六一郎が生まれた後は夫婦の営みが終わるとトチを川へ連れていき、腰まで水へからせた。子宮を冷やせば受胎しないからだ。しかし真冬にそんなことをしては妊娠しないどころか体を壊してしまう。トチは次第に性行為を拒むようになり、六一郎の下に子どもが生まれることはなかった。そんな六郎太であったから、天草へ来ると六一郎にこう言った。
「おまえはいくらでもやれ。子どもがどんだけ生まれても田んぼはいくらでもあるたい」
その六郎太の言葉どおり、田んぼはいくらでも作れた。作之助の指示のもと、山の斜面を耕してどんどん増やしていけた。

山を切り開いて新しい田んぼを作り、海を埋めて大地を作る。まるで創造主のようなことをするうちに六一郎の吉利支丹信仰は強くなっていった。神が七日間で作ったというこの世界。神でない自分たちは何年もかかるけれど、それでも目に見えて田んぼは作られていくし、海は埋め立てられていく。神聖なことをしているような気分になっていく。薩摩にいた頃は先祖から引き継いだだけの信仰であったが、天草に来てからはイエスやマリアを深く敬愛するようになり、夜の集会にも通うようになった。

父六郎太から明日絵踏みがあると聞いて、六一郎はがっかりした。三か月前、吉利支丹の集まりに新しい者が来た。顔を隠してはいたが、どう見ても松之助だった。

集まりに参加していた従弟いとこの七太郎も、松之助で間違いないと言う。七太郎は六一郎の父六郎太の弟七郎太の息子である。六一郎より一つ年下で、六一郎と同じく兄弟がいない。六一郎を兄のように慕い、六一郎からは弟のように可愛がられている。

薩摩から天草へ移住する時も、六一郎の妻クネの妹イネを妻にした。クネが昨年赤ん坊を産んだのに続くように、今イネは臨月を迎えている。こうやって同じように生きてきた二人であるが、今回は大きく違う。運命が二人を永遠に引き裂くことになる。

六一郎ががっかりしたのは絵踏みと言うより松之助にである。

松之助は父作之助の山を切り開く才を見事に受け継いでいて、松之助の埋め立てでの指示は的確だ。山のどこの土を掘り出すのか、山崩れを起こさない掘り出し方、土をこぼさない運び方、何から何まで松之助の言うとおりにすれば問題がない。

六一郎と同じように父親に連れられて天草へ来た松之助であるが、父親なしで埋め立て作業を仕切り、若者たちにとっては父作之助に匹敵するどころか超えるほどの信望を得ている。五つ年下である松之助を六一郎は若頭として憧れとともに認めている。

埋め立て作業を「山を動かす」と最初に言い出したのは六一郎と七太郎であった。イエスの言葉になぞらえたのだ。それを吉利支丹でもない者達も言うようになり、松之助も言い出した。まとめ役である松之助が大きな声で「わいらは山を動かしとるけんね」と皆に発破をかけるたびに、六一郎と七太郎は嬉しかった。

松之助が吉利支丹であるとわかり七太郎と喜んでいたのだが、作之助に殴られたと顔に痛々しいビンタの痕をつけていると思ったら、絵踏み。改宗させられたのだろう。松之助は、ここ天草でも父親の言いなりなのだ。六一郎の松之助は光を失った。

絵踏みのことを告げに七郎太の家へ行った父六郎太が戻ると、六一郎は家の外に出た。すると七太郎も出てきた。

「あんちゃん、どうすっと。踏めるとか?」
「踏めん。おいは大村へ行く」
「おいはイネがこれやから行けん」
七太郎は右手を腹の上から下へ動かし、膨らんだお腹を表した。
「生まれたらあとから来い」
七太郎が来るものと当然疑わない六一郎。それに頷く七太郎であったが、これが二人の交わした最後の会話となる。

一人息子の六一郎がいなくなってしまい、六郎太の落胆は尋常ではない。
「あいつは作之助さんのスゴさが分かっとらんと。ここは楽園たい。馬鹿たれが」
ここでは開墾すればしただけの田んぼを自分のものにできる。その土地もノウハウもすべて作之助が与えてくれる。気弱者の弟七郎太が、
「そんなにたくさん耕しても米を作りきれん」
と言った時、
「まだ移住して来る者がいるけん、そいつらを小作に雇えばいい。作れるだけ作って大地主になれ」
と発破をかけた作之助。夢と希望を与える作之助は、田んぼの一部をよこせとも要求してこない。
土地と技術を惜しみなくくれる作之助に、六郎太は全幅の信頼を置いていて、作之助についていけば大地主になれると信じている。

大それた夢を実現していくように孫も一人生まれた。これからまだまだ生まれてくるだろうと期待していたのに、妻子を連れて消えてしまった六一郎。大切に育てた一人息子の六一郎。どれほどここでの子孫繁栄を六一郎に託していたことか。呆然自失の六郎太は涙混じりに、
「もう一人作っとけばよかったと」
と嘆いた。しかし、それを聞いた妻のトチは毅然と言い放った。
「今から作ればいいと」
「おまえ、産めるとか?」
「あれだけ冷やしたからわからん。でも月のもんはまだあると。産もうと思えば産めるたい」
トチが気張るのには訳があった。同じく薩摩から移住してきたサイが、先月恥ずかしそうに笑いながらこう言ったのだ。
「もう終わったんや思とったら、またできとっと。孫も生まれたばかりや言うに」
月経が来なくなったから閉経したと思っていたら妊娠していたと言うのだ。そんなサイは四十六歳でトチより四つも年上だ。ほかにも、トチとあまり年の変わらない女たちが何人も天草へ来てから妊娠している。トチが自分もと思うのは不思議ではない状況である。

そんなトチの意気込みを聞いて、七郎太の妻ムクは慌てた。
「七太、おまえはどこへも行ったらいかんと。おいはもう産めん」
妻のトチと違い子作りにさほど期待していない六郎太も、
「七太、お前はここで子どもをあばてんね作れ。おいの土地もおまえの子どもたちのもんたい」 
と七太郎が出て行ってしまわぬように引き留めた。
「おまえ、踏めるな?バカなことしたらいかんと」
七郎太も決して七太郎を失わぬようにと念を押した。

当の七太郎はと言うと、いなくなった六一郎のことより松之助のことで頭がいっぱいだった。
(松之助は踏み絵を踏むとか?)
左頬に赤い掌の痕をつけた松之助はすっかりしょげ返っていた。一体どうやって踏むのか。七太郎はそれを見たくて仕方がない。

つづく


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木花薫
小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!