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66 梅すだれ-御船

一方、「許せるものか!」と怒鳴って出て行った庄衛門は、干物屋の自室で寝転がっている。大の字に手足を広げ天井を睨みつけている。
(許せぬ、許せぬ、許せぬ!)
強い恨みが脳天をかき回す。頭が痛くなるが、恨むことは止められない。

日が落ち部屋が闇に包まれる。もう天井も何も見えないが、目を開けたまま闇を睨みつけている。夜が終わり外が白み始めた。まだ干物屋の誰もが寝入っている薄暗い中、小衛門は一人外へ出た。

井戸から冷たい水をくみ上げてぴしゃりと顔へ浴びせる。顔がひやりとして気持ちよい。手拭いで顔を拭うと、頭を出し始めた太陽を見ている。真っ赤な火の玉がゆっくりと姿を現していく。大きな朝日だった。

空へ昇っていく丸くて紅い球が大空を真っ赤に染めていく。しかし次第に赤は色あせて黄色くなり青へと変わった。太陽は黄色くなって空に浮いている。足元では虫たちが動き出し、干物屋の中でも人の動く音がし始めた。今日も一日が始まる。

しかし今までの日とは全く違う。知ってしまったのだ。味噌屋の陰謀で家族が皆殺しにされたと。庄衛門は夜明けの清い空気を吸い込むと、復讐することを誓った。

その日も番頭をせず、頭が痛いと言って自室に籠った。
(どうやって仇を討とうか)
思案する庄衛門のもとに豆腐屋から使いが来た。菊が呼んでいると言う。味噌屋を許せと言う菊になんぞ会いたくもない。しかし大奥様が会いたいと言っていると言う。

庄衛門は大奥様が自分の母親の姉であることを知らない。なぜ自分に会いたがるのか不思議である。しかし大切な話があると言うので渋々豆腐屋へ行った。

仏頂面のまま奥の部屋へ入ると、どこか懐かしい感じのする大奥様が座っている。始めてあったとは思えない。いつかどこかで会ったことがあるように思える。
「どこかでお会いしましたか?」
庄衛門の素朴な質問に、滝は久しぶりににやりと笑った。小さくても桐のことを覚えているのがうれしい。
「私はお前の母親、桐の姉ですよ」
その声にも聞き覚えがある。庄衛門は息をのみ、滝を見つめた。
「坊ちゃん、奥様のことを覚えとっと。奥様とお義母様かあさまは顔も声もそっくりと」
庄衛門はきりっと顔を尖らせると、たまらずに尋ねた。
「なんで味噌屋は母ちゃんたちを殺したとですか?なにがあったと?」
滝は桐が木倉へ嫁いでからの知っている事を話した。

子育てで悩む桐が隣の味噌屋のしげを頼りにしたこと、中庭で子どもを交えて交流していたこと、滝が子どもを産むと重は祝いの品を送ってくれたこと、重の次男が亡くなったこと、そこから重と疎遠になり文句を言われるようになり、中庭に仕切りの壁が作られて嫌がらせをされたことを。

「なにがあったのかは私もわかりません。子を失った悲しみから木倉の商売繁盛を妬んだのかもしれません。でもまた魚醤屋を追い出したのですから木倉が憎かったというわけではないのかもしれませんよ」

魚醤が臭いだの、魚醤を食べると足が悪くなるだの、魚醤の悪口も言っていた重である。木倉というより単に魚醤が憎いのかもしれない。
「おいは許せん。仇を討ってやる」
「討ち入りでもする気ですか?そんなことをしても死んだ燈一郎さんもお桐も、お前の兄たちも喜びませんよ。お桐がお前を隠したのは仇を討たせるためではありません」
きっぱりと言う滝に、庄衛門は食らいつく。
「おいはあの屋敷で魚醤屋をやる。味噌屋の嫌がらせなんかに負けん。あそこで魚醤屋をやって味噌屋を追い出してやる」
「坊ちゃん、そんな危ないこといけません」
菊がすかさず口を出すが、庄衛門は気にも留めない。
「あいつらの大嫌いな魚醤の臭いを毎日かがせてやる!」
いきり立つ庄衛門を前に、滝は動揺することなく静かに思いがけない提案をした。
「醤油屋をやりなさい」
「しょうゆ?」
醤油を知らない庄衛門は聞きなれない言葉に首を傾げた。
「今江戸で人気の新しい調味料です。煮た大豆と炒った小麦をひしおと混ぜて絞った汁で、ごはんにも野菜にも魚にも、なんにでもかけて食べるそうです。香ばしくておいしいそうよ」
実は滝は醤油を作ってくれないかと田北から相談された。うちは豆腐しか作れないと断ったのだが、きっとおいしいものを探求するのが好きな桐なら新しい調味料に飛びついただろう。桐の息子、庄衛門なら作れるのではないかと滝はひらめいたのだ。田北が言うには、江戸で醤油を食した清正公がここ熊本でも醤油を欲しがっているとそうだ。
「おいしい醤油を作って清正公に献上なさい」
それを聞いた庄衛門の目は輝いた。

干物を売りに行った時に見た熊本城。あの立派な城にいる殿様に干物を食べてもらいたいと何度思ったことか。肥後ではまだ誰も作っていない醤油を作れば殿様が食べてくれる。この豆腐屋はお城に豆腐を卸しているのだから、決して夢物語ではない。豆腐屋に仲介してもらえれば殿様に召し上がってもらえるはずだ。
「味噌屋が潰れるくらい大きな醤油屋をやりなさい」
滝の焚きつけるような言葉に、庄衛門の目はさらに輝きを増した。
「やると。醤油を作ってぎゃふんと言わせてやる!」
若者の野望に満ちた顔はなんと気持ちの良いものか。桐が魚醤を使っておいしい料理を作ろうと頑張っていた時もこんな顔をしていた。滝は飯屋を懐かしく思い出している。

菊は微笑んでいる滝をマリア様のようだと見つめた。復讐の道を歩こうとしていた庄衛門を希望に満ちた明るい道へと見事に導いた滝に、心から感動している。
「ただし、干物屋さんが許せばの話ですよ」
干物屋の奉公人の庄衛門であるから、干物屋の主人の承諾を得るようにと滝は念を押したのだった。

つづく


次話

【目次】
甲斐の国
日向の国
肥後の国
天草
吉利支丹
御船
相模の国
雑賀
御船

時代小説「梅すだれ」


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木花薫
小説「梅すだれ」を連載中です!皆様の支えで毎日の投稿を続けられています。感謝の気持ちをパワーにして書いております!