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44 梅すだれ-雑賀
ざわつく心のまま二日が過ぎ、マサに会える朝が来た。しかし滝のはやる心とは裏腹に、嵐が海を荒らし雑賀の村に激しい雨と風を叩きつけている。誰も外には出られず、ただ家の中で嵐が通り過ぎるのを待つばかり。家も吹き飛んでしまうのでは心配するほどの風が低いうなり声をあげながら吹き荒れている。
滝は竹で籠を編み、タカベと桐は稲穂を木の棒で叩いて脱穀と精米をしている。タカベは飯屋のヒデから米の仕入れ先を紹介してもらい、滝と桐が驚くほどの量の稲を調達してきた。脱穀するまえの稲穂のままだと安く仕入れることができたのだ。大量の稲穂を保管する小さな小屋も竹林と家の間に建てた。薄暗い場所で保管に適しているが、夏の湿気でカビが生えては元も子もない。ハモと二人で頭をひねり、床板を地面から三尺高くして壁は二重にした。横に張る壁板を上辺を奥に傾けて斜めに張って、風は通っても雨は入らないようになっている。場所的に竹林が雨風をある程度遮ってくれるから、今日のような大雨が強風に乗って横降りしても稲穂が濡れる心配はない。
調子よく稲穂を打つタカベと桐は吹き荒れる雨風をものともせず、楽しそうに懐かしい浦賀の歌を歌っている。いつもなら一緒に歌う滝であるが、今日は歌う気にはならない。マサに会えないのが辛くて何度もため息をついている。しかしマサのことなど知りもしないタカベは、売りに行けないことを惜しんでいるのだと勘違いして、
「一日ぐらいなんだ。嵐が過ぎればまたいくらでも売れるぞ。稲穂はいくらでもある。いっぱい脱穀できていいじゃねえか」
と励ますのだが、滝は浮かない顔で「はあ」と返事ともつかない声を出す。
「ねえちゃんは熱にやられて疲れてるんだよ」
と桐はここ数日ぼんやりしている滝の体調を心配している。 頓珍漢な二人を横目に、滝は黙々と籠を編んだ。
次の日の朝、荒れ狂っていた海は穏やかに波打ち、空は青く澄んでいる。滝は一刻も早く浜へ降りていきたくて、一つ一つ丁寧にごはんを握っている桐を急かし、いつもよりも早く浜へ出た。マサの船が来るのは真昼だ。今か今かと海を眺めてばかりいる滝を、桐は暑さで呆けていると勘違いして、
「今日はこれを売り切ったら終わろう。ねえちゃん休んだ方がいいよ」
と滝の体を気遣うのだが、
「何言ってるのよ。こういう日はたくさん売れるじゃない。午後もいつもより多めに売るよ」
と滝は威勢がいい。突然の土砂降りの雨や、またとない晴天など、天候が急激に変わる時は握り飯がよく売れる。滝と桐が「台風一過の大儲け」と名付けるほどに、気圧が大きく変わる時人は食欲が増すようで売り上げが倍になる。現に今日も客は絶え間ない。いつもより多めに買っていく者もいる。あっという間に残り僅かになり、昼前に桐は午後の分の握り飯を作りに家へ戻った。滝はマサが来る前に売り切れませんようにと祈りながら売り続けた。あと一つになった時これをどうしてもマサに売りたい滝は、次の客にはもう売り切れたと嘘をつこうと心に決めた。
待ちわびる滝の前に、マサはいつにも増して顔を緩ませて現れた。
「おタキちゃん、会いたかったなあ」
滝が言葉を返す間もなく、マサは滝を抱きしめた。 マサの焼けた肌からは昔懐かしい父ちゃんの匂い、海の香りがする。滝は浦賀にいた頃を思い出して、ここが私のいる場所なのだと雑賀に来てから初めて安らかな気持ちになった。
マサは滝の尻をつかんで「腹ヘった。一つくれ」と言うと、滝から離れた。もう少しこのままでいたかったと思う滝だが、マサの為に残しておいた握り飯を渡して横に座った。
「嵐すごかったね」
「家が吹っ飛んでたで。粉々になっててん。川に仰山木が浮いてて来るんが遅うなった。はようおタキちゃんに会いたてたまらんだわ」
照れることなく真っ直ぐに滝を見つめるマサの目は海の煌きのようにまぶしい。恥じらう滝はそっと目を伏せた。
あっという間にマサは食べ終わり、もっと話をしていたいと名残惜しい滝だが、桐が握り飯を作っていてくれることを考えると家へ戻らなければならない。
「じゃあまたね」
と歩き出す滝をマサはついて来た。話しながら坂を上り、飯屋の前を通り過ぎたところで、滝は坂を上るのをやめて右へ入った。木々の間をしばらく歩くと村と飯屋の畑を結ぶ坂道に出た。その坂道を少し上り右手の横道に入った。そう、この道の先にはあの小屋がある。滝はマサと二人きりになりたくてアヤのあの小屋を目指して歩いた。
小屋はしんと静まり返っている。
「なんやこの小屋」
と中を覗いたマサは「なんもないなあ」と中へ入った。薄暗い中で二人は抱き合い折り重なって倒れこんだ。そして滝はかえるになった。滝、初めての契りである。
「もっと一緒にいたいけど帰らないかんけんねえ」
と寂しそうに帰っていくマサを見送る滝は、内股にぬるりとしたものを感じた。見ると赤い血が脚を伝って落ちて来る。股に痛みがあることを考えると怪我をしたようだ。滝は気が動転しながらも、割いた竹を浸す川へ行って腰まで浸かった。血は洗い流すともう出てこない。傷は大したことがなかったようだ。
(月のものだろうか?)
母親のいない滝には何が起こっているのかわからない。
(今度ヒデさんに訊いてみよう)
とぼんやり思いながら滝は家へ向かった。
途中、紅く色づき始めた鬼灯を見つけた。一つもぎ取ってぽんと打つと、青い空に紅い玉が飛び込んでいく。
-恋をする鬼灯よりも紅い恋-
滝の初恋を澄み渡る青空が優しく見守っている。
滝が家へ戻ると孝が遊びに来ていた。
「お孝ちゃん、久しぶり」
機嫌よく声をかけた滝だがはっと息をのんだ。孝は顔を赤くして泣いているのだ。桐も目を真っ赤にしている。
「どうしたのよ」
「ウコギが鉄砲隊に入るって」
「鉄砲隊は落ちたって言ってたじゃない」
「根来の鉄砲隊に入るって」
「どうして根来に?!」
紀ノ川の向こうの根来の鉄砲隊は非情な殺戮を繰り返す織田信長の傭兵隊だ。そんな根来の鉄砲隊にわざわざ入りに行くなんて。ふつふつと怒りの湧く滝である。
ウコギは桐と孝と同じ年で三人は仲が良い。特に孝は生まれたころからの付き合いで、無口で大人しい孝が話しをする数少ない一人だ。滝の描いた浦賀の絵にウコギが川を描き足した時、孝が激しい剣幕で怒ったこともあった。孝が怒るところを見たのはあの一度だけだ。ウコギだからこそ孝は感情を露わにしたのだろう。
「根来が人を集めてるらしくって入れたって」
ウコギは目が悪い。斜視で右の眼だけいつも横を向いている。そのせいで物が二つに見えるものだから月は二つあると言い張っている。そんな目では到底鉄砲隊として活躍できるはずもなく、雑賀の鉄砲隊では不適格として入隊が許されなかった。雑賀の鉄砲隊は人気があり入隊を希望する者は雑賀以外からもたくさん集まって来るが、入隊できる者はごくわずか。しかし根来では長引く戦局に隊員を増やそうと川向こうの雑賀の者も入隊させるようになり、雑賀の鉄砲隊を落ちたものが根来のに入るようになっている。ウコギも一か八か入隊を申し出たところ、鉄砲隊の後ろで弾や火薬を詰める要員として採用されたというのだ。
「あほやねん。せっかく落ちたのに入りに行くなんて」
孝ちゃんの声はいつにも増して弱弱しい。ウコギは今日の午後出発すると言う。
「ここで泣いてないで会いに行きなよ」
滝が二人を急かしたが、
「言ったってやめるわけないやん。もうええねん」
と諦める二人だが、
「言いたいことを言っておいで。最後になるかもしれないんだから」
滝の言った「最後」という言葉に二人は顔を見合わせた。
「お孝ちゃん、行こう!」
桐が孝の手を取ると孝も「うん」と大きくうなずいた。
「ねえちゃんごめん」
と言葉を残し、桐は孝と走り出した。
滝はまだ握られていないご飯を慣れない手つきで握っていく。かごへ詰めながら桐と孝のことを考えた。ウコギが雑賀の鉄砲隊に入れなかった時、桐は嬉しそうだった。きっと桐もウコギのことが好きなのだろう。孝ちゃんも見るからにそうだし、あの二人はどうなるのだろう。ウコギを取り合うのだろうか。これからの二人の仲が心配になる。
(それにしても根来に入るなんて)
溜息をつく滝は、もちろんこのことをマサに話した。
「あほやねんなあ。鉄砲隊にあこがれる奴は頭がおかしいで」
マサもウコギのことを飽きれている。三好にも雑賀の鉄砲隊に入ろうとする者がいるそうで、
「藍を蒸かしてればええのに、なんでか鉄砲を撃ちたがって。藍を育てるしか能がないんや、そりゃ落ちるわ」
と鼻で笑っている。
三好は藍染で有名だ。染料の元であるたで藍の栽培が盛んで、藍の葉を百日かけて発酵させた蒅は「阿波の藍玉」として京都や大坂に限らず全国に名が知られている。三好家の支配下である河内の国では木綿の栽培が盛んなことから、河内木綿を阿波の藍玉で染めた反物が大量に作られている。
藍染の布は消臭性があるだけではなく、傷の化膿を防ぐ抗菌や止血作用もある。さらに耐火性も高いことから、藍染めの反物で作った着物を戦場で甲冑の中に下着として着ることが武士達に流行っている。今はどこもかしこも戦だらけ。藍染の需要はうなぎのぼりだ。藍染が戦で侍たちの命を守っている。そのことが蒅を作る誇りになり、三好の若い男たちは戦場へ出ることに憧れる。しかしマサは藍染が戦に使われることを不愉快に思っている。
「わいには藍玉が臭くてたまらんけん。運びたくないと思う時もあるわ」
マサは雑賀へ来ない日は堺へ藍玉を運んでいる。マサの家系は藍玉の製造を生業にしていて、祖父母と両親はもとより親族はみな藍玉を作っている。長兄と弟も作っているが、マサと二番目の兄だけが船に乗りたいとごねて船乗りになったのだ。
「戦のないとこはないんかなあ」
安らかに生きる場所を夢見るマサに滝は強く共感するのだった。
つづく
次話
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