近衞寮放送室Vol.3《らーめんさん》のお手紙

ずっと気になっていた『ワンダーウォール』を配信でようやく拝見しました。忘れていた学生時代の記憶、あの時のもやもやした感情が鮮烈に蘇ってきました。他の方々との「文通」を拝見しまして、どうしても思いを吐き出さずにいられず投稿します。自分語りになってしまいますがご容赦下さい。

もうかなり昔のことになりますが、かつて私の母校にも駒場寮というオンボロな寮がありました。私が大学に入学した当時、既に大学は「廃寮」を宣言していて、しかし寮生は寮に住み続けており、入寮案内が配られ、サークル部屋やクラスルームも多数ありました。雀卓やこたつ、猫にヤギ、寮祭、壁のアート、年齢不詳の寮生達、廃寮反対の立て看や団交。まさにキューピーを取り巻いていた景色と完全に同じ空気がそこにありました。私は寮に住んでいたわけではありませんでしたが、隣接する寮食堂という名の空きホールでよく音楽活動をして過ごしていて、寮は通り道でもありました。だから映画のラストのセッションシーンは、再現フィルムかと思うほどの既視感に軽く目眩がするほどでした。あの演奏風景は自分にとっての青春の記憶そのもので、その傍らには確かに寮がありました。

近衞寮に負けないくらいカオスで自由闊達な寮は、寮生の生活の場である以上に、今思えばひとつの独特で強烈なカルチャーでした。しかしあれよあれよという間に、電気が止められ、裁判になり、ガードマンが見張るようになり、重機が入って一部が壊されました。私がキャンパスを離れてしばらくして、寮とその文化はこの世から完全に消滅しました。

当時、私は傍観者でした。学生投票で廃寮反対に投じることくらいしかできない、寮生が教授陣と対峙しているのを遠巻きに眺めていただけの学生でした。運動が長期化するにつれ、寮生と大学双方が次第になりふり構わなくなっていっているように見え、さらに自分の心が離れていきました。卒業後も寮の思い出をどこか抑圧して生きてきた気がします。

しかしこの映画を観て、あのころ感じていた葛藤や無力感、絶望、そして憧れが痛烈に蘇ってきました。そしてあの時覚えた諦観をずっとどこかに抱いたまま社会を生きてきたことに今更ながら気付きました。マサラのやり場のない怒り、志村が行き着いた無力感、三船が抱え込んでいた苦しみ、そして「それでも、これはラブストーリーだ」と語るキューピーの近衞寮へのまなざしも、全部、あの頃感じていた揺れ動く心の動きそのものでした。寮から距離を置いていた自分の中にも、内心ではあの空間に消えないで欲しい、寮生達の生き方を羨ましいとさえ思う気持ちがこんなにも強かったのかと気付かされました。さらに廃寮後、跡地に建てられた小綺麗な施設とキャンパスライフを謳歌する学生達を目にして、あの寮での日々は幻だったのだろうかと茫然としたことまで急に思い出しました。寮にとどまらずなくなった食堂や部室、映画館、劇場、居酒屋、そこで交わされた会話まで思い出されて自分でも驚いています。どれもかけがえのない空間でした。

映画を観てからずっと自問自答しています。あの寮は私にとってなんだったのか。私には何かできたんだろうか。今の時代であればまた違った結末になったのだろうか。この迷いはただのノスタルジックな感傷にすぎないのか。「壁」と直接対峙していた人達、「壁」の向こう側の人達はほんとうは何を思っていたのか。そして今ここにあるたくさんの「壁」に対して、どう向き合っていけば良いのか。

もうあんなことは起こって欲しくない、どうかキューピー達にはあのショックと諦観を味わって欲しくないと思うと同時に、何もしなかった自分に、そして「壁」を取り巻く状況に、苦しくなります。我々氷河期世代が、頑張ってもどうにもならない現実、上に楯突くことの許されない空気(自分にとって廃寮はその端緒でした)を下の世代に見せてしまったことで若い人達を過度に萎縮させてしまっていないか。私は争いを好まない今の若い方々のメンタリティを素晴らしいと思っていますし、当時の我々学生と比べてずっと成熟した人間性をキューピーや三船、志村たちに感じました。だから異なる価値観に対し、争うのではなく穏やかな形で「対話」を求めることをどうか恐れないで欲しい。また壁の向こうの人達の状況(劇中の京宮大学も、我々が学生だった頃とは比べものにならない苦境にあると思います)もこの歳になると痛いほどわかります。しかしだからこそ、その苦しさ、板挟みの状況を共有して、そのうえで解決の糸口を探っていってほしい。それで何かが解決するわけではないにしても。そしてそういう営みのひとつのかたちがこの映画だったのかなと思っています。この映画は確かに私達に自問自答させ、壁の向こうとの「対話」を促す力を持っています。

私はいまだに何もできずにいますが、あの頃たしかに感じていた葛藤と迷いをこれからは忘れないでいたい。今後も何かの壁にぶち当たったときにこの映画を思い出すことで、考え続けることを放棄しないようにしたいと思います。そして近衞寮のような場所がずっと在り続けられる世界であってほしいと願います。素晴らしい映画をありがとうございました。

P.S.「近衞寮放送室」を拝見しましたが、全画面表示で見ると完全にキューピーや三船とのZoom飲みにしか見えなくて、内容もまるで近衞寮のこたつにお邪魔して寮生達の哲学談義に相槌を打ってるかのような臨場感があって大変楽しかったです。



⇨✉️制作スタッフの一人より


らーめん様

お手紙ありがとうございます。
読ませていただいて、あー、ついにこうしたお手紙が来てしまったかと思わずにはいらせませんでした。
たぶんあなたと私は、同じような世代で、おそらく同じキャンパスで学び、
もしかしたら食堂で背中合わせに安いカレーをかき込んでいたかもしれません。
あの頃、大学の一角には確かにワンダーウォールに出てくるような学生寮が存在していました。
それでも自分は、あなたよりもずっとずっと外側にいた人間で、
あの場所でライブを見たこともなければ、お酒を飲んだこともない。
なんであんな汚い場所に人が住んでいるのだろうと不思議に思うばかりの学生でした。

それでも私にも寮に出入りする幾人かの友人がいました。
その中の一人Aは、経済学部に所属する、長身で日焼けの似合う好漢で、
高校時代はバスケット部のキャプテンだったらしく、
いかにも将来は、大手商社に入ってチリの銅山かどこかで仕事をしていそうです。
そのAが、あるときから寮に入り浸るようになりました。
こざっぱりした服装も、着の身着のままに近づいていき、
夏休みにはインドのゴアに行って、そこで体験した何かを脱ぎ捨てるような感覚の素晴らしさを熱く語って聞かせます。
(そう言えば、三船の姉・香は、インド古典学の大学院生でしたね。)
そして哲学にはまり、社会の矛盾を熱く語るようになりました。

寮の存続についても訴えていました。
そこがいかに魅力的で、稀有な存在であるのか。
廃寮決定の経緯に、いかなる不正義があるのか。
とがった話ばかりするAのまわりからは、次第に人がいなくなっていきました。

その話をするAの隣で、自分は深くうなずいたと思います。
寮のような空間が、残って欲しいとは思っていました。
そして何かを力で押しつぶすような一方的なやり方にやりきれない思いを抱いていました。
でも、それ以上に何かできるとも思いませんでした。

それから数年後、大学を卒業してしばらくたったころ寮は無くなりました。
そしてこの頃、Aがこの世を去ったと聞かされました。

もちろん信じられないという思いでした。
Aがなぜ命を絶ったのか、その理由はわかりません。
自分には、寮と彼が一緒にこの世から消えていったような印象だけが残りました。

そのぼんやりとした喪失感に蓋をして、すでに20年近くになります。
あの時、何が失われたのか、当時の自分は考えようともしませんでした。

キューピー役の須藤蓮くんが、「以前は競争に熱を上げていた」と語っています。
多分自分も、今の世の中ほど激烈ではないけれども、漠然とした競争の中に身を置いていて、
そんなことを構っていられなかったのでしょう。

ワンダーウォールを作ることは、
そうした失った何かを、一つ一つ記憶の底から掘り起こし確かめていく作業でした。

あー、ついにこうしたお手紙が、と冒頭に書いたのは、
あなたの手紙を読んで、そんな記憶がまた一つ記憶を掘り起こされたからです。
そしてその記憶が、具体的な一人の友人の死と重なりあってよみがえったことに、
自分自身、大きな衝撃を受けています。

「経済至上主義が社会の幸福にとって本当に得策なら、若者の自殺とかこんな増えないと思うんですよ」という香の台詞。

当時も、自由とか、多様性という言葉は合ったと思います。
でもそれはもっと自由な働き方とか、新しいライフスタイルみたいなイメージで、
(フリーターみたいな言葉が輝いていた時代が確かにあったのです)
寮に息づくものは、時代の中で消えていくものだと解釈していました。
あそこに、多様性という言葉で語るにふさわしい、豊かな実態があったのに、

そうしたノーテンキな言葉のはき違えと、想像力の無さをして、
自分たちは多くのものを壊し、殺してきたのだと今にして思います。
自分も傍観者でした。
(ほとんど懺悔ですね 苦笑)

脚本の渡辺あやさんが、最近大きな発見をしました。
「古いものに価値がないとみなすことは、自らに呪いをかけているようもの」だと

自分たちで、自分たちを傷つけることは早くやめなければ!

そんな言葉を一つ一つ発見しながら、
ワンダーウォールの旅は、続いています。

いただいたお手紙の一節。
「我々氷河期世代が、頑張ってもどうにもならない現実、上に楯突くことの許されない空気(自分にとって廃寮はその端緒でした)を下の世代に見せてしまったことで若い人達を過度に萎縮させてしまっていないか。」
まったく同感で、心に突き刺さります。

あのとき、Aの隣で深くうなずいていた自分。
けれど声を上げなかった自分。
その距離を埋めるために、もっと勉強しなくてはと思う近頃です。

長文失礼いたしました。
そしてお手紙、ありがとうございました。