《グラパンさん》からのお便り
『ワンダーウォール』、コロナで出町座が閉まる前に観ることができた。
”近衞寮”は大学に残された数少ないグレーゾーンだと思う。昔なら例えば公園で花火をしていても、警官がこらこら火が少し大きいよと言う感じで、花火そのものは大目にみられるということがいろんなところにあった気がする。
いつの間にかそうやって、グレーゾーンを街からなくしていくことで、結局みんな住みづらい街になってしまった。
”近衛寮”のようにグレーゾーンはずっといる場所ではないかもしれないが、そこに行くと受け容れられると感じられる場所が誰にとっても1つはないと息苦しいだろう。
だから”近衛寮”というのは大学の寮ではなくて、自分が守らないと消えてしまうグレーゾーンのことなんだ。そんなことを出町座からの帰り道、考えていました。
⇨✉️脚本・渡辺あやより
グラパンさま
お手紙ありがとうございます。
出町座で観てくださったのですね。商店街の中の、お肉屋さんやおまんじゅう屋さんと並んであ るあの映画館に行くと、「小説、ドラマ、映画」じゃなく「肉、まんじゅう、映画」という感じ に、映画というものが普段思っているのとちょっと違うものに思われてきて、観た作品も自分の 中のいつもと違う部分で消化されていくような気がしたりして、とても好きです。
さて、私も覚えています。公園というのは、かつてはもっとゆるい場所でした。花火ができたし、 子供は野球をしてたし、犬の首輪を外して遊ばせる人、鳩に餌をやる人などなどあたり前に見か けたものでしたが、いつのまにかどれもこれも「とんでもない迷惑行為」になってしまいました ね。
「迷惑」っていう言葉が、今はジョーカーみたいに強いんだなあということをよく感じます。 「迷惑ですから」って言われると誰も何も反論してはいけないような、あれはどうしてなんでしょ うか。
これに通じることで、私もずっと悲しく思っていることがあるんです。 それは「街路樹ひどい剪定問題」。おそらく近隣住民の「落ち葉が迷惑」っていう苦情を受けて刈りに刈った結果、ありえない樹形になってしまったと思われる街路樹を、最近よく見かけるのです。
うちの近所の立派だったケヤキ並木も、すっかりバオバブ並木みたいになってしまいました。 それを見るたびに「迷惑」という言葉について考えずにはいられないです。 一年のわずか数日の落葉期間のために、高樹齢のケヤキがバオバブみたいにされるで本当に合ってるんだろうか。
バオバブみたいにされないですむ社会があるとしたら、「迷惑」という苦情にはどんな回答が用意されるのだろうか。
悩ましさのあまり、最近私は誰彼かまわず人をつかまえちゃあ、この「ひどい剪定問題と迷惑最強ワード問題」を切々と問いかけてみるのですが、いまだスッキリ視界が晴れるような結論には たどりつけずにおります。
むずかしいですよねえ。