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【40代】友達ができそうな予感とは?

みなさんは、友達になれそうな予感を感じたことはあるだろうか?

私は、大人になってから、というか、会社を辞めてから、新しく出会う人の数もずいぶんと減ったし、子供の学校関係とか(いわゆるママ友)も、
自分の性格が慎重な上に警戒心も強いことから、
自然と仲良くなる人は少ない。

一応学校行事でも、怖い人と思われないようにこにこにこにこ笑顔でいたり、隣になった人に「今日は寒いですね~。」などと自分から話しかけたりするのは平気で、愛想良く思われるのだが、実は、こんな風に会話したところで、「仲良くなれるかどうかは神のみぞ知る」的な神任せな気持ちもある。別に仲良くしたいわけではなく、場がもつようにしているだけなのだ。


40代になって、周りもみんな忙しくて、自分自身の体力も落ち、
年に1回会える友達はよいものの、LINEすら遠のいてしまう友達も増えてきた。
そんな時、「人間関係は来るもの拒まず、去る者追わずが良い。」という
どなたかの発信
を見たこともあり、おお、そんなものかなーとのんびり構えて過ごしていると、
まず、なかなか誘われない。。。
そしてなかなか誘えない。。。

いや、誘えないというか、気軽に誘えるいつもの友達には深く考えずに誘えているので、現状維持といったところだ。
でもこの「深く考えずに誘える友達」がきっと年々意図せず減っていくのね、となんとなく悲しい予感がしているこの頃だった。


この悲しい予感の大元はというと、ボタンの掛け違いのように、自分の意に反して疎遠になってしまった友達がいて、
それ以降、「人間関係は自分の思うとおりにならないものだ」という定義が自分の中にプラスされたからだ。
トラウマのような悲しい思い出。
でもそうゆう思いは、30代40代には、よくある話しだとも思う。
子育て、仕事、、、みんなそれぞれ自分を生きる精一杯の年代。
いつか、落ち着いたら、疎遠になってしまった友達とも、また笑って話せる日が来るといいなともやもやした気持ちには蓋をする。


そんな中、最近仲良くなった人がいる。
もともとは、子供つながりの関係だったが、子供抜きでもお茶したり、
その後も誘い、誘われが続いているのだ。
まず、警戒心なく、自然とそうなったことが嬉しいな、と思う。
上記のように、人間関係に期待しなくなった自分でも、自然と仲良くなるってこうゆうことかな、と思い出すことができた。

タイトルに戻るが、
友達になれそうな予感、みなさんはあるだろうか。
自分が小学生や中学生だった頃、「あ、このことは仲良くなれそう。」私はそう感じることはよくあった。
肌が合う、空気感が同じ、笑顔が優しい、その他、仕草や動きでも
「なんとなく」そう感じることは多かったと思う。
子供特有の第六感も働いていたのかもしれない。

しかし大人になるにつれ、自分の中で出会った人間の数が多くなり、うまくいってたと思ったらいかなくなった経験もあり、私のその「なんとなく」はいつか機能を失っていたように思う。
きっと「なんとなく」には「なんとなく仲良くなれそう」という期待感も含まれていたのかもしれない。いつからか自分は、新しい出会いに全く期待をしない自分になっていたのだ。

自分をこれ以上傷つけないように、防衛本能として、私は「友達ができる予感」を感じなくしていたのかもな、と思う。


今回久しぶりに私に降りてきた新しい出会い
少しわくわくするこの感覚は、昔の自分も思い出させてくれた。
「あの感覚を思い出してごらん。そう、わくわくしてごらん?」

40代とはいえ、これからもどんどん出会いと別れを繰り返すだろう。
風の時代を生きる私達。
出会いをわくわく喜ぶ気持ちもは、きっと心も体もリフレッシュさせて
くれるはずだ。失敗をおそれず、出会いに期待したいなと思う。
それは振り返ればまた道ができているのと同じで、得がたいものが沢山あるはずだ。
そして自分の人生になっていくはずだ。






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