現代の大人は若者と向き合っているか。
昨夜、NHKで三島由紀夫のドキュメンタリーがやっていて、それまであまり知らなかったけど刺さった言葉がありました。
自分も今25とまだまだ青く、悩みの種なんて尽きません。生涯尽きないのかもしれません。
ただ、それでも色々と考えて、調べて、試行錯誤しています。
一つ感じるのは、そういった悩める若者を見る大人の目には、応援する気持ちより馬鹿にする気持ちの方が大きいのでは、ということ。
社会問題などを考えていても、悟ったような大人が「そんなの気にしたってね」と薄笑いを浮かべるような。
そんなところで目に入ってきた三島由紀夫の以下の文章。
青年というものはどんな時代も馬鹿ですよ。
ただ、馬鹿ではあるけれども、曖昧な状態で考えた思考というものは、後になって必ず役に立つ。
そういう青年は、自分の考えを整理する段階に入れば、だんだんユニークな人間になる。
僕はね、青年を信用しないということは、自分を信用しないということだと思う。
どんな社会でも、青年は必ず大人になるんですからね。
この若者の馬鹿さ、青臭さに対してリスペクトを持って対話する姿勢。
個人にむけて「馬鹿」と言われると腹立たしいけど、「青年はいつの時代も馬鹿。自分もそうだった。」と言われると、真摯な態度を感じます。
青い若者にアドバイスをする大人という上から目線ではなくて、ひとりの人間として向き合ってくれている。そんなありがたみ。
自分も年下に対してそう接していられてるかな。
年代関わらず、尊敬し合う社会を目指していきたいな。
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