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ロボットと、わたしたち

皆さん、こんにちは!
コウノミホです。

やっと今年は、夏らしい夏が味わえそう!
そう思った矢先に
コロナも、第7波が押し寄せてきてしまいましたね。

皆さんは、いかがおすごしでしょうか?

とは言え、コロナ禍当初の「リアルからオンラインへ」という移行はおおよそ成功し「どちらでも、どちらからでも対応可能なように」社会も変化してきたように感じています。

今や、リアルでは会ったことがない「オンラインのみでの関係」にも関わらず、繰り返し接点を持つことで「親しい」とか「友達」と感じられる関係も増えて来ました。

むしろ「オンラインではよくお会いしていましたが、リアルでは初めまして、ですね!」
そのような逆転現象(!?)も、しばしば。

これは、素晴らしいことですよね。


このような広がり方は、初体験ではありません。
私は2004年くらいからブログを書いており、2010年くらいからはブログで親しくなった方に実際にお会いする機会が増えました。

もちろん、誰にでもお会いする訳ではありません。
長い期間を経て信頼関係を築いてからです。
それが理由かもしれませんが「がっかりした」「思った人と違った」ということは、実は1回もありません。

つまり、オンラインでも、お人柄を知ったり、関係を築いたりすることは可能だ、ということなのでしょうね。
メタバースの台頭や、AIやロボットの発達も著しく、まさに世の中が変わっていくのだな・・・と実感します。

ただ・・・そのようなことを考えている時、いつも思い出すエピソードがあるのです。
今日は、そのエピソードについてお書きしようと思います。


10年以上前のことです。
私は、仕事仲間とクライアントの最寄駅に集合し、タクシーに乗り合わせて仕事場に向かっていました。

すると、仕事仲間が、おもむろにこんな話を始めたのです。

今日、俺、嫌な夢をみたんだよ。聞いてくれる?
夢の中で、俊(仮名、彼の息子さん)が、事故にあって死んじゃったんだよ。
でも、その時代は『人が死んだら代わりのロボットを作って渡す』っていう時代になっているみたいで。
知らせを受けて病院に駆けつけたら『こちらです』って言われて、俊を引き渡されたんだ。あったかいし、前と少しも変わらない。いつもどおり。
でも、これはもうあの俊じゃないんだ、俊はいなくなったんだって俺はずっと泣いてるわけ。
あぁ〜、嫌な夢だったなぁ・・・


この話を聞いた時の、なんとも言えない衝撃・気分の悪さ・けれどそんなのはおかしいと否定しきれない何か複雑な思い。
まさに、心がざらつくような感じは、それから10年以上経った今でも心に焼き付いたままです。

人は、その人であるからこそ、尊い。

けれど、ロボットに心癒されることは、確かにあるはず。

本当に、難しい問題です。


生身の人とロボットは、結局のところ違う、区別をつければ良い!
・・・と考えて、今まで来ました。

しかし、こうして人と気軽に会うのが難しくなり、オンラインでの出会いに刺激をもらったり、慰められたりする日常がやってくると・・・結局のところ、信頼関係とは何なのだろう?自分にとって大切な人が誰かは、どのように決まるのだろう?など、混乱して来ます。

例えば、とっくに亡くなった昔の作家が書いた本に影響を受けることもあります。
また、AIにテストの採点をされることは、私なら全く気になりません。

反面、やっぱり、家族がロボットに置き換えられたら、それはやはり家族そのものではないと思ってしまいます。
私が自分で動けなくなったとして、介護ロボットに介護されるのは構わない反面、ロボットとしか会えなくなるのであれば、それはやっぱり寂しい。

皆さんは、いかがですか?


今日の記事には、答えはありません。
これからのVRやAIが発達する時代に、私たちが自ら考え、選んでいくことなのだろうと思います。

これからの時代は、「課題を解決する能力」以上に「課題を発見する能力」が必要な時代だ、と言われます。

これからも、答えのない課題をたくさん発見し、立ち向かっていきましょう。

皆さんのご意見、ご感想など、ホームページのお問い合わせから、お気軽にお寄せくださいね。
https://konomiho.com/


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