見出し画像

正しく、迷子になれていますか?

みなさん、こんにちは。
コウノミホです。

ついに師走となりました。
街中の雰囲気も少しずつ年末らしくなりましたね。

さて、恐らく2024年最後のnote。
今回のキーワードは「迷子」です。
ちょっと唐突ですね。何の話でしょうか。


私の姉は、大学時代、湘南の海でライフセービングの活動をしていました。
それまで比較的おっとりタイプだった姉が、水を得た魚のように溌剌と活動する姿はとても新鮮でした。

私がリビングでくつろいでいる時など、突然、遠くから指差し確認し

「溺者(できしゃ。溺れている人のことらしい)発見!!!」

と叫んで襲いかかってきて、担ぎ上げて救助(くつろいでいるだけです・・・涙)するなど、熱心に溺れた人を救助する練習をしていました。

ライフセーバーの最も重要な仕事は、その名の通り人命救助です。
しかし、海水浴場で日常的に溺れる人が出るわけもなく(むしろ、出ないことがライフセーバーの誇りでしょう)、パトロールやごみ拾い、そして迷子の世話も重要な仕事のようでした。
全体的に、交番のお巡りさんのイメージに近いかもしれませんね。

そんなライフセーバーの姉が話していたことで、とても印象深い話がありました。
今日のテーマ「迷子」についてです。

夏のある夜、大学生の姉と高校生の妹が交わした会話をお聞きください。


今まで一番困った迷子は、どんな子?

「いやー、今日は大変だった!迷子が多くて・・・。
美穂、知ってる?
迷子の中でも、一番困った迷子って、どんな子なのか。」

「迷子にも、困った迷子とそうじゃない迷子がいるんだね。
一番困った迷子・・・。泣き叫んでばかりで、こちらの話が全く耳に入らない子かな?」

「違う違う!!!
それは、むしろ、理想的な迷子なのよ。
だって、本人は『ボクは迷子だ』って自覚してるわけでしょ?
その上、『助けて〜!』って声をあげているわけでしょう?」

「うん、なぜそれが理想的な迷子なの?」

「すぐに、周りの人が助けてあげられるからよ!
親が気付くよりも先に保護されるとか、親から連絡を受けて5分くらいで発見されるのは、そういう迷子なのよね」

「なるほど」

困っていない迷子が、一番困る

「いい、一番困った迷子っていうのはね・・・『自分は別に迷子じゃない』と思っている迷子なの!」

「本人に、迷子の自覚がないってこと?」

「そう、いわゆる『困っていない迷子』ね。
それが、探す側にとっては一番『困った迷子』なの。皮肉でしょう?」

「そうか、本人は困っていないから、普通に過ごしているってことね!」

「そうなの。今日の最強迷子は、親が探し始めてから5時間も、自分だけで楽しく砂浜や海で遊んでいたの。
親は心配のあまり、精神状態がおかしくなっていたよ・・・」

「5時間!!!それは大変だ」

「本人は、普通に遊んでいるだけだから、他の遊んでいる人たちに紛れて、全然見つからないのよ。放送なんてもちろん聞いてないし」

迷子「3つの条件」

この話は、まだ高校生だった私には、とても印象的でした。

「迷子」とは、

①本人が困っていて、
②困っていることを周りに伝えて、
③助けを求めている

人のことなのですよね。

そのままではいずれ困るであろうと見える人、迷走しているように見える人であっても、

①本人が困っておらず、
②困っていると周囲に伝えていず、
③助けを求めていない

人は、この定義においては「迷子」ではありません。

困っていなければ、ただのお節介

当たり前のことでしょうか?
情熱があって、他人にも親切な性格の私(本当ですよ!笑)にとって、目から鱗の話でした。

思い返せば、それまでに「迷子」ではない人に色々とアドバイスをして、煙たがられた経験が多々ありました。
「迷子」でない人を救助しようとしても、それは親切ではなく、ただのお節介なのです。

そんなことにも気付いていなかったなんて!
と、自分の一面的な物事の見方にハッとしました。

相手の状況を、慎重に見極める

それ以来、誰かにアドバイスめいたことを言いたくなった場合には、

「相手は『迷子』になっているか?」

を慎重に見極めるようになりました。

ちょうど、周囲も大人に近づく年齢だったこともあるのか、それを意識するようになってからは、人間関係のトラブルが激減したように思います。
幼少期から「ひと言多い」と言われ続けてきた私が、一皮剥けたのかもしれません。

「人は人、自分は自分」という基本的なことが、私にとっては「迷子」という言葉の定義を通して腑に落ちたのだと思います。

「相手は正しく『迷子』になっているか?」

仕事柄、人から相談を受けることは多いです。
子持ちの公認会計士、ということで、ライフ&キャリア相談を受けることもありますし、会計関連のご相談もあります。

ご相談を受けるときには、いつも

「相手は正しく『迷子』になっているか?」

を考えながら聞いています。

ご相談とおっしゃっても、ただ背中を押してほしいだけ、ただ聞いてほしいだけというパターンも多いです。
それは決して悪いことではないので、そんな時は、そっと背中を押します。

本当に「迷子」になっているのだな、と思ったときには、本気でアドバイスさせていただきます。
厳しいことを言う場合もありますが、煙たがられることはあまりなく、感謝されることが多いです。
ありがたいことですね。

「私は正しく迷子になれているかな?」

逆に、自分が人に相談する場合にも、「正しく迷子になる」ことを心がけるようにしています。
これも、とても大切なことかもしれませんね。

プライドが邪魔して、上手に迷子になれないこともあると思います。
何に困っているか?をうまく伝えられず、的外れなアドバイスをもらうこともあるでしょう。

でも、そんなときにも「私は正しく迷子になれているかな?」と考えるようにしています。
どんな時でも、何らかの変化を起こす時の主語は「私」。
その覚悟があれば、どこからともなく救助者が現れて、ヒントをくれるものだと思います。

相談に乗ったり、相談を受けたりするのが苦手な方は、よかったら参考にしてみてくださいね。

いいなと思ったら応援しよう!