水中キャンディを口にして -馬場このみさんの『水中キャンディ』とメインコミュ72話の感想、関係について-
はじめに
初めて『水中キャンディ』という曲を聴いた時、僕は馬場このみさんがどのようなバックグラウンドを持ち、なぜアイドルになったのもよく知りませんでした。それでもこの曲に懐かしさや苦しさ、そして確かな決意を感じたことを憶えています。
僕は『水中キャンディ』を何度も聴き、その度に彼女の決意に勇気を貰いました。
それから彼女のことを調べていくうちにこの曲の様々な解釈を目にし、漠然と「このみさんがアイドルになるための決意の曲なのかもしれない」と考えるようになりました。
そして今年の9/28、メインコミュ72話『大人だから、こそ』がミリシタで公開されました。
この記事を読んでくださっている方ならば既にご存知かと思いますが、『水中キャンディ』という曲が表す物語が丁寧に反映された素晴らしい内容でした。
コミュを視聴し終えた後、僕は何も言葉に出来ませんでした。
これまでこのみさんと一緒に歩んで来た思い出が胸に去来し、自分の気持ちが、感情が、あまりも複雑になってわからなくなりました。
この記事ではそれらを紐解きながらコミュの感想を書いて行き、そしてまた、それらを紐解くためにコミュを見返す過程で気づいた「メインコミュ72話と『水中キャンディ』との関係」についての考えも書いてみたいと思います。
本文
メインコミュ72話は、このみさんの妹の人生相談の話から始まります。
以前から妹の存在は語られていましたが、真に「セクシーな美女」と言わしめるほどのスタイルを持っているようです。
ミリシタでは「またお下がりならぬ、お上がりを貰ってしまった」というこのみさんのボイスがありますが、小柄なこのみさんとそんな妹が並べば、きっとそのコントラストが目立ちます。
このみさんは気にしていないようですが、もし僕がこのみさんの立場だったら周囲の目線を気にしてしまうかもしれません……。
グリマス時代はブラジルで行われたこのみさんのサッカーの試合を観戦しに行くほど仲の良い妹。今回のコミュのエピローグでも、姉のライブをこっそり見に来たファンとして描かれていました。
二人の関係性はミリシタでも変わらないようです。
きっと子供の頃からそんな妹の面倒を見たり、今回のように相談を受けたりして来たのでしょう。"24歳"という年齢以上にこのみさんが大人びた言動を取ることが多いのは、こうした姉としての経験が含まれているように思えます。
妹に対しての「自分が後悔しない道を選びなさい」という返答は、このメインコミュの、ひいては『水中キャンディ』が物語るテーマの一つでもあります。そのテーマを表現する過程で、人生経験が長い大人であるがゆえの知見により、"選びたいはずの道が選べない"という葛藤も表されます。
"大人である"ということ、そして"アイドルである"ということ、それらはこのみさんにとってセクシーさを伴うものですが、その"セクシー"はこのみさんがアイドルになった当初からの矜持でした。
アイドルの道へ歩むことになったきっかけもそうです。
彼女自身も言っていたように、このみさんは周りをよく見て慎重な行動が出来る大人です。元々は事務員の面接のために事務所を訪れたはずのそんな大人が、その日初めて会った人間に言われた一言でアイドルになることを即決する……余程嬉しかったのでしょうね。
そんな"セクシー"という矜持を失念するほどの葛藤に苛まれる状態は、アイドルとしての彼女の大きな挫折です。
"アイドル活動を休みたい"という言葉こそ口にはしませんでしたが、そんな不安な展開を予感させるような語り口でした。
これまで色々なステージを一緒に乗り越えてきたシアターの仲間たち、競い合い認め合ったライバルたち、そしてプロデューサーがアイドルへ誘った過去が彼女の重荷になる……苦しかったはずです。
プロデューサーがそんな彼女に伝えた言葉は、かつてメモリアルコミュ3で自身がこのみさんに言った
という言葉でした。
その言葉を改めて聞いた彼女は、葛藤を乗り越えて『水中キャンディ』を披露するためのステージへ上がる決意を、"トップアイドルへの道を歩み続ける選択"をします。
『水中キャンディ』の歌詞中では、こうした過程が"海"と"陸"との対比、そしてそれらの越境によって表されます。
(歌詞を見返したい場合は必要に応じてこちらなどをご参照ください)
海は「穏やかな波」「綺麗な花のように 生きる珊瑚」「鎖繋がれた 暗い海」「ココロの鍵 見つからない」という表現があるように、"居心地は良いが不自由で、どこか満たされない場所"として描かれます。
これはメインコミュにおいて、このみさんが葛藤を抱いてから『水中キャンディ』のステージに上がろうとするまでの"一歩を踏み出せない自分に甘んじている状態"、転じて"トップアイドルを目指すことを止めている状態"を指します。
一方、マーメイドが泳ぎ着く陸は、「夢が叶う場所」「声が届く場所」「やると決めたの 最後のチャンスね」「止まれない…」「振り返らない…」と表されるように、"二度と戻れない覚悟で進む、願いが叶う(かもしれない)場所"です。
これはこのみさんが新たな一歩を踏み出す先の"『水中キャンディ』を披露するステージ"、転じて"トップアイドルを目指している状態"を指しています。
海での生活は"アイドルとしての停滞"、陸での歩みは"アイドルとしての成長"の隠喩です。
余談ですが、以前から『水中キャンディ』のステージには『Deep, Deep Blue』で使われた水中ステージが舞台となることが予想されていました。
結果として水中ステージは採用されず、シンプルな演出のステージが採用されました。
その理由には、メインコミュで表現されたこのみさんの"トップアイドルへの決意"をシンプルな演出で際立たせという意図と、こうした"海"と"陸"との対比の一貫性を保つような意図があるのではないかと考えています。
これまでこのみさんがアイドルとして初めてステージに立ってから経て来た多くのステージ……楽しいことばかりではなかったかもしれませんが、その全てはこのみさんがトップアイドルへと輝くための成長に繋がっています。
アイドルとしての成長を語る上で象徴的な部分の一つに、『水中キャンディ』を披露する直前、プロデューサーがこのみさんの手を握らせてもらうシーンがあります。
メインコミュ17話『お姉さんに必要なコト!』では、舞台袖でこのみさんからお願いをされたプロデューサーが、緊張している彼女の手を握って勇気を与えました。
今回はそんなこのみさんにプロデューサーから「手を握らせてほしい」とお願いをします。
"握ってもらった"のではなく"握らせてもらった"のは、プロデューサーとして彼女を導くという積極性の表れでしょうか。
手を握らせてもらうことは、手を握ってもらうことと同じく勇気を貰う行為です。そしてまた、二人で協力してトップアイドルを目指すことの表れでもあります。
いつか自分が与えた勇気が彼女の勇気になり、その勇気に今度は自分が勇気づけられる構図はまるで返礼のようです。"プロデューサーに助けられてばかりではなく、プロデューサーを助けることも出来るのだ"というアイドルとしての自信にも繋がったように思いました。
そうして披露した『水中キャンディ』では、ダンスやステージ演出によって珊瑚の生きる美しい海や葛藤と決意の様子を、そしてスペシャルアピールとアナザーアピールではマーメイドを表現していました。
披露後に観客たちが"セクシー!"と叫ぶ様子も、このみさんがアイドルとして培ってきた年月と成長を感じさせます。
ところで、『水中キャンディ』の曲名にも使われている「キャンディ」は、メインコミュの中で何を指すのでしょう。
「キャンディ」は歌詞中で、マーメイドに"食べることで前へと進む元気"を与えてくれるものでした。
マーメイドが「キャンディ」を拾ったのは、歌詞の冒頭部分で海辺に出た時のことです。
ずっと海中で暮らしていたマーメイドにとって、外の世界の人間が作ったキャンディは好奇の対象として映ったと思います。
きっと胸を高鳴らせ、その鮮やかな輝きを見つめていたのではないでしょうか。
アンデルセン作の童話『人魚姫』でも、幼くてまだ海の底から出してもらえない人魚姫は、周りの人魚たちから人間の世界についての話を聞いて目を輝かせます。そして15歳の誕生日にようやく海面へ上がることを許され、人間の世界と王子に出会うのです。
そうした"外の世界への憧れ"が『水中キャンディ』では「夢」や「ココロの鍵」として表現され、「キャンディ」に映し出されているのだと思います。
では、『水中キャンディ』のマーメイドは、なぜ「キャンディ」を"食べた"のでしょうか。"憧れ"であれば、見つめ続けるだけで良かったはずです。
おそらくそこには、「キャンディ」に映る憧れを、他の誰のためでもない、自分のためのものとして引き受けるという意図があったのだと思います。「憧れを目指して葛藤する過程は、海を後にして陸を歩き続ける決意は、他の誰のためでもない自分のために自ら選択したものなのだ」と。
僕たちが知っているキャンディはその色形が様々であるように、味もまた多種多様です。
大人になった今でこそあまり食べませんが、子供の頃にはよく食べていた記憶があります。芳醇な甘みを感じさせるミルク、しゅわしゅわと音がして楽しいサイダー、冬の空気を吸い込むような味のハッカ……。
転んで泣いている時におばあちゃんがくれた甘いキャンディ、友達との勝負の罰ゲームで苦いキャンディを食べさせられたこともありました。
キャンディの味に思いを馳せれば、そんな記憶が懐かしさを伴って蘇ります。
そしてそれは他の誰でもない、僕自身の思い出です。
「キャンディ」には、マーメイドが陸を目指して泳ぎ始めるに至るまでのそんな"彼女だけの思い出"が様々な味として詰まっていて、それらの味に元気をもらいながらマーメイドは進んだのだと思います。
そしてこれからマーメイドが歩んで行く先に出来る"軌跡"の先の出来事も、そんな「キャンディ」へと変わるのです。
今回のメインコミュにおいて、この「キャンディ」にあたるものはいくつもあります。
プロデューサーが伝えた「満場の喝さいを浴びてステージで輝くこのみさんの姿」を始め、セクシーへの憧れ、シアターの仲間たちと過ごしてきた日々、他のアイドルのステージに圧倒された悔しさ、妹が送ってくれたライブの感想、初めてのステージで一歩を踏み出したこと、プロデューサーの手のぬくもり……。
このみさんの軌跡に浮かび上がる思い出の一つ一つが、色とりどりで様々な味のする「キャンディ」です。そんな「キャンディ」は、これからもトップアイドルを目指すこのみさんの背中を新たなステージへと押してくれるでしょう。
そしてこの軌跡は、これまでこのみさんと一緒に歩いて来た、そしてこれからも歩いて行く「プロデューサー」の軌跡でもあります。
だからこそ、最後にこのみさんからこの言葉を聞けたことが僕にはとても嬉しかった。このみさんがアイドルになってくれて、アイドルでいてくれて心から感謝しています。
思えば僕がこのみさんと出会ってから1年半、長いようで短い年月で、本当に色々なことがありました。
ミリシタでのイベントやコミュを始め、海外出張、初現地の6thライブSSA公演Day2、ココスとのコラボ、誕生日イラスト、そして同僚プロデューサーの方々との出会い……その全てがこのみさんと歩んで来た確かな軌跡です。
(きっと、この記事を読んでくださっている方にもそんな軌跡がありますよね?)
楽しいことだけじゃなく、大変なこともありましたが、これからもこの軌跡を伸ばしていきたいと願っています。
もちろん、これからどのような出来事があるのかはわかりませんし、色々な不安もあります。
ですが、この軌跡の先にいる僕たちは、たとえどんな味のする「キャンディ」を口にしたとしても、きっと今までと同じように笑い合えるのだと信じています。
おわりに
『水中キャンディ』の歌詞中で2回しか登場せず、たまたま海辺で拾っただけの"キャンディ"がなぜ曲名に採用されるほど重要なのか、そしてなぜ"水中"という言葉が必要だったのか、以前は疑問に感じていました。
人魚姫とこのみさんに共通する物事や理想を曲名にしても問題はなかったのではないか、と。
しかし、今は違います。
『水中キャンディ』の歌詞には、キャンディを口にしたマーメイドの「止まらず、振り返らずに歩き続ける」という言葉が記されています。
そしてメインコミュ72話でのこのみさんは、アイドルとしての彼女の初ステージ前にプロデューサーが伝えた「満場の喝さいを浴びてステージで輝く馬場このみ」を目指すことを決めました。
その決意は「水中」、つまり"居心地は良いが成長のない状態"から一歩を踏み出し、たとえどんなに苦しくてもトップアイドルになってみせるという決意でした。
そうしてステージに立ったこのみさんから、妹が元気を貰ったという描写がエピローグにあります。
アイドルが放つ色とりどりの輝きは、いつもファンに憧れや勇気を与えます。その輝きの一つ一つが、彩り豊かな「キャンディ」です。
それらの輝きに至るまでの軌跡は「キャンディ」に詰め込まれ、食べれば様々な味が浮かび上がるでしょう。しかし"ファン"には、それらの「キャンディ」が生まれた過程を全て知ることは出来ません。
「キャンディ」の味の全てをこのみさんと分かち合えるのは、"馬場このみ"というアイドルを自ら選び、彼女の傍でずっと歩いて来た「プロデューサー」だけなんです。
「"馬場このみ"というアイドル、その輝きと軌跡が詰まった色とりどりのキャンディを口にして、一緒にトップアイドルを目指すことを『あなた』に引き受けてほしい」
『水中キャンディ』という曲名には「プロデューサー」へのそんな願いが込められているのだと、メインコミュ72話を経た今は思います。
※2023/06/12 追記
続きの記事をこちらに書きました。