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クレヨンしんちゃんの「ほっぺ」について〜しんちゃん映画のススメ〜

出産して思った。

「うちの子のほっぺ、可愛すぎる。本物のクレヨンしんちゃんじゃん!」

頬ではなく、あえて「ほっぺ」と書きたい。まあるくて柔らかく、そのままポロンと落ちそうな、ぽてぽてのほっぺ。

しかも、周りで親になった人たちがみんな同じことを言うのだ。「赤ちゃんのほっぺ、しんちゃんみたいだよね」と。小さい頃、アニメを見ていた時は、独特のほっぺたフォルムを子どもながらに不思議に思っていた。なんでこんな変な形なんだろう、と。だが、あのフォルムは、むしろ幼児ならではの顔の輪郭を正確にとらえたものだった。我々がしんちゃんを「可愛い」と感じるのも、赤ちゃんを本能的に可愛いと感じるのに似ているのかもしれない。

私はクレヨンしんちゃんが好きだった。おバカな振る舞いも可愛いし、時代や家族像が平成の核家族で育った自分に近くて親近感があったのかもしれない。
一方で、当時は特に「子どもに見せたくない」と言われるアニメの筆頭でもあった。私自身は、幼い頃は「ちょっと下品なくらいアニメだしいいじゃん、誰もあんなおバカな真似しないよ」くらいに軽く思っていたが、大人になってその気持ちもわかるようになった。時代と共にアップデートされている部分もあるが、今でもやたらと女性の胸・尻を触りに行くなどの設定はキャラクターとして残っており、性的ないたずらがかなり軽視されていることに、抵抗がないと言えば嘘になる。(ただ、いちファンとして個人的には、今抵抗がある部分も、少しずつまたアップデートされていくだろうと信じている。)

そんな「子どもに見せたくない」アニメの筆頭である『クレヨンしんちゃん』だが、しんちゃんほっぺの息子が誕生した時に、「そもそも、子ども向け前提の作品ではなかったんだよな?」と今更ながら気づいた。
しんちゃんのふくふくしたほっぺたフォルムは、親の目線から見たものだ。そして、ご存知の方もいると思うが、「クレヨンしんちゃん」は当初は成人向けのギャグ漫画だった。つまりそもそも「子どもに見せる」ことを前提とした作品ではなかった。まだ規律の概念が形成されていない5歳児の自由奔放で奇想天外な行動を、親や大人の視点や常識をもって楽しむギャグ漫画なのだ。

そう考えると、そもそも『クレヨンしんちゃん』は、子どもよりも、むしろ親が見るべき作品なのではと極端なことを考え始めた。周りのしんちゃん好きの中には、特に映画が好きという人も多いが、それも頷ける。しんちゃん映画は、子どもより、大人がグッときたり、笑えたりする深いセリフが散りばめられたストーリーで、数分に一度挟まれるなんともくだらないギャグに、クスクス笑いながらも最後にはホロリと来る作品が多い。私自身、幼い頃はみさえとひろしが、いつも怒鳴り散らかしている母と少し頼りない父に見えていたが、大人になってから久々にしんちゃん映画を見て、印象が変わった。しんちゃんに振り回されて笑い、怒り、泣くみさえに共感し、子どものために頑張るひろしに尊敬の念を抱いた。うん、やっぱり大人の方がより楽しめるのではないか。

『クレヨンしんちゃん』に抵抗のあるお母さん、お父さんにはぜひ一度、親子でと言わず両親で、しんちゃん映画を見てみてほしい。あくまで個人的な意見だが、しんちゃん映画は、子育てを頑張る人たちへのエールを感じられると思う。少なくとも私は、大人になってからの方がしんちゃん映画に元気をもらっている気がする。

原作者の臼井先生が亡くなって今年で15年。しんちゃんほっぺの寝顔を見ながら、臼井先生もこんな可愛い寝顔を見て、しんちゃんを書き始めたのだろうか、と思いを馳せる夜だった。

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