SEOは死に体になりつつある、もはや個人の努力ではどうにもできない領域に突入しているのでは?
SEOは自分にとっていよいよ追求したいことではなくなかった、そう感じたのはすべてグーグルアップデートに端を発している。
かつてのわたしは文章に夢と希望を持っていて、努力をすれば文章でメシを食えるようになる、そう信じて疑わなかった。読者のことを第一に最後まで読まれる記事を作り込んでいけば、グーグルからの評価が上がってアクセスが増えていく。たとえそれがうまくいかなかったとしても文章を書いた実績と経験は残り、次に挑戦するときの自信に繋がっていく…。
実際、SEOから学べることはたくさんあって、お金が稼げなかったとしても経験値が溜まるだけで意味がある、そう思っていた。
評価が得られないのはグーグルのせいではない、自分の中に改善の余地がある限りは成長のきっかけになる、そう自分に言い聞かせていた。疑うくらいなら1冊でもたくさんの本を読み、いまの自分に足りないものは何か、どうすれば改善することができるか、をずっとを考えていた。
この頃のわたしはかなりストイックで、良い文章を世に送り出すことだけを考えて生きていた。
ただ、そういった考えも次第に変化してきて、最初の頃に持っていた尖った考え方はすっかり丸くなってしまった。知識や経験を積み重ねてグーグルの評価を勝ち得たかと言うと、いまだにビックリするほど評価を得ていない。こうしている間にもSEOを取り巻く環境は厳しさが増していき、過酷な状況はますます深まっていくばかりだ。
グーグルの不都合な真実
グーグルのことを深く知るにつれて不都合な真実を目の当たりにし、少しずつ疑いの目を向け始めるようになる。あるときひょんなことがきっかけで、ブログで稼いでいる有名な人のサイトを見せてもらえる機会に恵まれることになる。それはわたしが目指している質の高さといったものからは、随分とかけ離れたものだった。
グーグルが目指しているのはこれなの?それを知った瞬間に、いままで熱を込めてやってきた自分が急にバカらしくなってきた。グーグルが目指している方向と自分が向かいたい方向は明確に異なっていて、このまま突き進んでも明るい未来はない。
さらにグーグルの不都合な真実を知るにつれて、グーグルの評価に身を委ねることの危険性を感じるようになる。
結局は強いドメインを持っているか否か、結局はEEATを満たした強者であるか否か、結局はきちんとした法人であるか否か…。わたしはもっと自由でフェアな戦いを思い描いていて、だからこそグーグルはここまで成長を果たした!と信じて疑わなかった。
いまはもうそんなことはまったくない。先行者が有利だし、評価軸はガチガチで、被リンクとか法人とかいろいろと厳しい。いちプレイヤーとしてハッキリと言わせてもらうと、SEOは完全に死に体なのではないだろうか?
グーグルは絶対にそんなこと認めないだろうけど、随分と前からひどい検索結果しか出ていない、というのが率直な感想である。
わたしは自分の文章力を上げることや読者ファーストの視点を追求する意味において、SEOは最良の教師だった。でもそうではないところ、例えばSEOの小手先のテクニックとか、テクニカルなことに話が及ぶと、そんなことはどうでもいい。
そこまでやらなければ勝てない、というのであれば、だったらSEOなんてもういいや、という感じである。
SEOが高度になることによって自分のようなプレイヤーが離れてしまう、それはグーグルが目指している世界線なのだろうか?開かれていた門戸はどんどん閉じていき、ガチのアフィリエイターやSEOの知識に長けた人だけが残っていく。
それは多くの人に理解されないニッチな世界に突き進んでいるだけ、という気がしなくもないのだが、実際はどうなのだろうか?