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Webライターの苦悩、葛藤、本当はこうしたかった
僕は元々Webライターだった。
いわゆるSEOライターという種類のライターで、Webメディアの記事を書くのが仕事だった。
馴染みのない方もいると思うので、百聞は一見にしかずで記事例をいくつか置いておく。
要するに、検索したときに検索結果の一番上に出てくるような "わかりやすい" 記事を書くのが僕の仕事だった。
事実を整理し、まとめ、読者が理解しやすい順番に並べる。
記載内容が間違っていないか、文章は平易で読みやすいか、タイトルや見出しには検索キーワードが入っているか。
そういったことが最も重要な類の文章だった。
今、僕はこの "Webライター" という仕事はやっていない。
1日3〜4本書いていた時期もある。
参考までに書くが、Webライターの仕事だけで月収40万円ほどあった頃もある。
そんな僕がなぜWebライターを辞めたのか書き記しておくとともに、自分の価値観を改めて書きながら深掘りする。
そのような機会にしようと思う。
僕がWebライターを辞め、そして今もやっていない一番の理由は、端的に "表現" がしたかったからだと思う。
教員という仕事が肌に合わず、仕事を探していた時期に、「文章を書く仕事がしたい」と思った。
これはけっこう小さい頃から、頭の片隅にあった言葉だと思う。
文章を書く仕事がしたい。
そして、自分の好きなことが書きたい。
それで、コーヒーメディアの記事をメインとするWebライターになった。
でも、今思えば「好きなことを書く仕事がしたい」とは、あまりに雑な定義だったなと思う。
文章を書く、といってもあらゆる種類の文章がある。
好きなこと、といってもどう好きなのか、どういう種類の好きなのか、という解釈が無数にある。
この頃の僕は、それに気付いてなかった。
好きなことで文章が書けている自分。
その自分に酔って、これこそが生きる意味だと思い込み、誇りにすら思っていたと思う。
でも、続ければ続けるほど心は疲弊していった。
枯渇していった、と言ったほうが正確かもしれない。
情報を集め、その情報に誤りがないかをチェックし、読者の求める形に並べて、極力個性を抑えた平易な文章で記す。
その毎日。
今思えば、"頭" で仕事をしていたなと思う。
「文章を書きたい」と思っている僕の "心" はどこかに置いてけぼりになって、頭と体だけがずんずんと進んでいった。
気付けば心は砂漠の端っこにひとりぼっちで転がっていて、カラカラに乾いて干からびてしまっていた。
僕は文章によって、自分を表現したかった。
自分の心を満たしてくれる世界観というものを表現したかったのだ、と気付く。
思えば、僕は子供のころ小説家に憧れていた。
いくつか「小説のようなもの」も書いた。
どこかに応募したり、誰かに見せたりはしなかったけれど、それは確かに心を満たしていた。
僕はゲームを買ってもらえない家庭に育ったから、そういった小説を書くということが唯一のファンタジー世界に没入できる "遊び" だった。
結局、僕は小説を書くことで何をしていたのかというと、"自分の世界観" をそこに表現していた。
こういう世界があったらいい。
こういう世界へ行きたい。
こういう世界で暮らしたい。
そういった理想の世界を文章を通して具体化したものが、僕の小説のようなものだった。
自分の理想の世界は、この世にはない。
なぜなら、この世界は誰かと誰かとそのまた誰かとが作った世界であり、僕が作った世界ではないから。
誰かの理想の世界は、僕の理想の世界ではない。
その誰かと僕の理想としているものは絶対に違うはずで、全く同じということはあり得ない。
だから、この現実世界にいる限り、僕の理想の世界は作れない。
僕一人で現実の世界は作れないからだ。
世界は、社会は、国は、複数の人々によってつくられるから、絶対に誰か一人の個人の理想が具現化することはない。
だから、僕はその世界を文章に求めた。
僕の文章の中では僕は神であり、大統領であり、天皇であり、自分の世界を好きに表現することができる。
そういった「好きなこと」を「文章で書きたかった」のに、なぜかまかり間違ってWebライターになってしまった。
やっていることが全く逆ではないか。
誰かが求めている情報を、正確な情報を誰にもわかりやすく届ける、ということには自分の世界は1ミリも入らない。
それは僕の心を満たしてはくれない。
満たしては、くれないのだ。
僕は自分の心を満たすような文章が書きたい。
頭ではなく、心を。
自分の心を満たす文章は、完璧に一致することはないだろうけど、誰かの心の一部を満たすかもしれない。
そうなったら嬉しい。
けれどもやっぱり出発点は自分の心であり、心を枯らさないように水をやり続ける、そんなような営みであると思う。
書きながら思ったけれど、文章を書いている中で自分の心に気付いていく。
書く前に思ってもいなかったようなことが、書き始めることで彫出されていく。
そういったことが僕に文章を書き続けさせるし、また書くことが暮らしの一部になる。
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