利他の心と、足るを知る
利他の心を持ちたいものだ、と思う。
自分の利益は後回しで、他の利益を優先する。
そんな仏のような人に憧れる。
どんな成功者よりもかっこいいと思う。
ただ、周りのことを考えて行動すればいい、と思うのだが、それが単純でとても難しい。
時として自分を優先したくなってしまう。
まだまだ修行が足りないな、と思う。
道半ばである。
ただ、道半ばとはいえ、道半ばなので半分くらいは来ているのではないか。
ポジティブに考えれば、そう捉えられなくもない。
そんな道半ばの私が利他の心を持つために考えていることを、少し書いておきたい。
もしかしたら、完璧な利他の心を会得した未来の僕がこれを読んで、「まだまだやな」と言うかもしれない。
が、それならそれで、そのときに書き直せばいいなと思う。
とにかく今の考えをまとめておくことが大事だ。
まず前提として、自身の欲を捨て去ることは不可能だと思っている。
例えば、僕たちは飯を食わねば生きていけない。
空腹の状態で目の前に御馳走が置かれたとして、どうぞどうぞと他人を優先していたら死んでしまう。
腹一杯とまではいかないまでも、生きるのに十分なエネルギーを摂取することが必要である。
お坊さんですら、精進料理(=動物性タンパク質を避ける)とはいえ1日3食しっかり食べる。
つまり、自分の最低限の欲は満たした上での利他の心なのである。
ここで注目したいのは、お坊さんですら自分の欲を優先しているのだから、僕らが自分の欲を優先するのは仕方がない、ということではない。
むしろ、なぜお坊さんが自分の欲を満たしながら、利他をし得るのかということである。
その理由が、"足るを知る" という考え方にあると思っている。
足るを知る、とは「自分は既に満ち足りている、あるいは、これくらい満ちれば足りることを知っている」ことだと僕は解釈している。
つまり、自分は現状で満足している。
そして、これだけあれば自分は満足だ。
と際限をしっかりと持ち、自覚するということである。
私たちが暮らしている資本主義社会。
基本的に幸福には際限がない。
お金はいくら手に入れようが、いくらでも欲しくなってしまう。
出世レースにも終わりはない。
魅力的な異性は世界中に存在していて、たぶん、生きているうちには出会いきれない。
よりよいものを、より多くのものを、と希望すればいくらでも上には上がある。
そんな世の中において、自分はこれだけあれば十分だと規定する。
それが唯一の自分を満たす方法である。
そして、これだけあればの "これだけ" を知るには、自分の大切なものを真に認識しなければならない。
それがズレていると、ズレた方向に努力を重ね、どこまでいっても満ち足りていない感覚が付き纏ってくる。
例えば、家族が一番大事だと無意識では思っている人が、金が一番大事だと自認していると、金を稼ぐ方法を模索する。
だが、億万長者になったとしても、ひとりぼっちでは全く満たされないのだ。
なぜなら、その人が一番大事だと思っているのは、家族との時間だからである。
それは往々にして起こっていることだし、僕にも起こり得ることだ。
だから、もちろん今の僕が100%正しく自分を認識できているかは分からない。
ただ、今言えることは、僕は自己表現をし続けていたい。
自分の世界観や価値観を何かしらの形で表現し続けること。
それさえあれば、僕は満たされると思っている。
だから、それを阻害される環境に身を置きたくないと強く思っている。
例えば、会社員になってしまうと、自己表現を趣味や副業でできないことはない。
しかし、ほとんどの時間を会社に取られ、残るのはわずかな時間と体力と気力しかない。
だから、僕は自営業という働き方を選んでいる。
もしかしたら、会社員よりも所得は少なく、また安定していないかもしれない。
ただ、それは大きな問題ではない。
衣服が買え、食にありつけ、住居が持てればそれで何ら満たされる。
なぜなら、自分の事業を営むことが、イコール自己表現だからである。
自分の世界観を反映したカフェを僕は店主として営んでいる。
それを続けられさえすれば、僕は満たされる。
めちゃくちゃに売上を上げる必要はない。
経費を限りなくカットして利益を多く取る必要もない。
店舗も展開する必要はない。
ただただ自分と家族が暮らせるだけの利益が残り(それも特段の贅沢は要らない)、事業が続けられるのであればそれでいい。
それを知ってからは、前より少し、いやだいぶ他人に優しくできるようになったと思う。
そんなことない。
と、誰かに言われてしまえばそれまでだが。
とかく満足の際限を決めること。
その際限を超えた幸福が、他人に分け与えられる幸福ということになる。
コップを水で満たすとき。
コップは小さければ小さいほど、早く満ちる。
つまり、そのコップをどれだけ小さくできるかが、利他の心を持つことに影響してくるのだと思っている。
別に事業を大きくしてはいけない、ということではない。
順番が逆だということだ。
売上を上げるために事業を大きくするのではなく、周りを幸せにするために事業を大きくする。
そのあとで売上が付いてくる。
売上が最優先に来ると、目先の数字を追うことに躍起になり、利他の心を忘れてしまう。
人間はそうなりやすいと思っている。
それは、僕もである。
だから、このように書き記すことで、常に自分に言い聞かせている。
ああ、またミニマリストを名乗るべきだろうか。