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「得たい」より「残したい」
僕にはあまり「何かが欲しい」という欲がない。
世間的にはそれを、「物欲がない」とでも言うのかもしれない。
実際、過去には自分のことを「ミニマリスト」だと自認していた時期がある。
でも、それもあまりしっくり来なくて、今ではミニマリストだとは思っていない。
ただ、持ち物が少ないというのは事実であり、また物欲があまりないのも事実である。
たぶん根底ではミニマリストと通じる部分があるのだと思う。
その代わりと言ってはあれだけど、「残したい」という欲がある。
行きつけの店だったり、この地域で採れる農作物だったり、今ある人間関係だったり。
そういった今の満たされている状態を残したいという欲が強い。
何かを今に加えて欲しいというよりも、この状態を維持したい。
例えば、店を全国展開するみたいなことには全く興味がない。
それよりも、明日も明後日も、そして一年後も十年後もこの店を続けていたいと思う。
そのときに、今の仕入れ先であるお茶屋さんや自家焙煎珈琲屋さん、農家さんなどが残っていて欲しいと思う。
だから、仕入れ続ける。
仕入れ続けるために売上を立て続ける。
それが原動力になって、日々を生きるエネルギーになっている。
向上心とはまたちょっと違う。
あまり向上したいという気持ちがない。
それよりも今の自分であり続けたいし、その質を上げていきたいという感じ。
増やしたいというよりも、密度を濃くしたいという感覚が近い。
突き詰めたいという感覚が近い。
さて、なぜ何か新しいものを「得たい」と思うのではなく、「残したい」と思うのか。
たとえば、車が欲しいだったり、豪邸に住みたいだったり、海外旅行をしたいだったり。
そういったものは「得たい」型の欲望であると思う。
それは、欠乏感から来ていると思う。
何か今が満たされない感じ。
何かを得ることで今ある凹が埋め合わされて、充足感につながるという感覚だと思う。
僕にはその欠乏感があまりない。
満たされているな、と思う。
恵まれているな、と思う。
ツイているな、と思う。
もちろん、他の人から見たら欠けていると感じられる部分は多いだろう。
車も持ってないし、家も借家だし、子どもはいないし、貯金もないし、服は古いし、テレビもないし、旅行に頻繁に行けるわけでもない。
だから、一般的には「車が欲しい!」という得たい型の欲望が沸き起こってもおかしくない。
でも、僕は全くそうは思わない。
既に僕は満たされていると思う。
強がりでもなんでもなく、この状況が素晴らしく恵まれているなと思うし、これがずっと続けば良いのになと思う。
生きてるだけで素晴らしい。
生きていて友達がいて、毎日おいしいご飯が食べられて、こうやって物が書けて、暖かい布団で寝られること。
これがどれだけ幸せなことかというのを、僕は身に染みてわかっている。
僕は一度、意識を失って倒れたことがある。
幸い命に別状はなかったが、突然にして命を落とすというのはこういう時なのだなと思った。
それを境に生きていることが奇跡だし、恵まれていることだし、そして人生は長くないと実感し続けている。
だから、この日常が何よりも幸せだ。
人生は長くないことを知ったから、なんか合ってないなと思った教員の仕事を辞めた。
突然に辞めたから、お金がなかった。
文章を書く仕事をフリーで始めたが、初月の収入は三万円。
日給ではない、月給だ。
毎日、米ともやしと鶏肉を食べて暮らした。
スーパーの100gで60円くらいの激安鶏肉を買って、もやしと炒めて白米をかき込んだ。
それで十分美味かった。
家賃は三万だった。
4.5畳の1ルームで、当然ユニットバス。
部屋に洗濯機はなく、アパートの住人の共同の洗濯機が一階に置かれていた。
ベッドはなかったので、薄っぺらいマットレスで夜を過ごした。
床の硬さがダイレクトに伝わって来て、腰をよく痛めた。
そんな生活をしていると、たまに食べるチェーン店の唐揚げ定食や牛丼やカレーライスが、とてつもなく美味しく感じた。
今、僕は普通に飯を食える。
鶏肉じゃなくて豚肉や牛肉を選べる。
なんなら気分のいい日には、スーパーで寿司を買って食べられる。
それが何よりも幸せだし、とはいえあの頃の生活も楽しんでいたから、結局これ以上に何かを得ることで幸せが増えるとはあまり思えない。
この暮らしを残すこと。
そのために、この地域の商店や自然や人々を残すことが、僕にとって大きな欲求だ。
そのために店を続けていくし、この地域が残ることで逆に僕の店も残る。
卵が先か鶏が先か。
たぶん、どちらも相互に作用するもので、僕は店を残そうともするし、地域を残そうともする。
仕入れはなるべく地域の業者からするし、買い物もできるだけ地域でしたい。
残したいという欲求は、あらためてお金の使い方を考えさせてくれる。
使うか使わないかではなく、「どこに使うか」という視点を与えてくれる。
その視点が、さらに僕を幸福にしてくれる。
残したいという欲求が、僕にとっては健全なように思える。
少なくとも僕にとっては。
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