どうも僕は人の話を聞いていないらしい
どうも僕は、人の話を聞いていないらしい。
話しかけられると、ほとんどの場合で「なに?」と聞き返してしまう。
そして、「だから、柿!」などと繰り返してもらうのだが、「柿」は一回目でも聞こえていて、その前の言葉が聞こえていなかったものだから、結果的に「柿がなんだって?」と聞き返してしまう。
平均で二回聞き返してしまう。
さらに、その発話の前提状況が理解できていないことがあるから、「柿おいしいよね!」という発話が理解できたとしても次々に、
どこの?
いつの?
誰と行った?
どうやって食べた?
品種は?
干し柿ですか?
など、前提状況を理解するための質問が始まり、永遠に会話が進まないことがある。
非常に多くある。
弁明させてほしい。
僕は、完全に人の話を聞いていない。
これでは弁明になっていない。
僕は著しく耳が悪いというわけでもなければ、相手の声が著しく小さいというわけでもない。
まったく弁明になっていない。
どころか僕の人の話を聞いてなさが、より際立つ補足情報になってしまった。
詰め将棋をしている気分だった。
しかも、詰められているほうの王将で。
詰められるほうの王将目線で詰め将棋をすることは、まずないだろう。
僕は、将棋ゲームのCPUか。
そうではなく。
そう言いたいのではなく。
僕は人の話を聞く気はあるし、会話の途中で急に「え?なに?なんか言った?」と言い出したりはしない。
話しかけられたときに聞き返すくらいだから、少なくとも会話をする意思はある。
僕は急に話しかけられるのに滅法弱い。
話しかけられたときの最初の発話が耳に入ったとしても、脳みそに入ってきていない。
どうした僕の耳と脳みその間。
校門は開いていたものの、既に昇降口は施錠されていて校舎内に入れなくなってしまった、遅刻した学生か。
生徒指導の先生に見つかって、説教を喰らっているのだろうか。
だから、脳みそに到達できないのだろう。
そんなわけがない。
僕の脳みその前に、生徒指導の先生は立っていない。
当たり前だ。
何を言っているんだ。
そうではなく。
話が入ってこないのは、僕の脳みそが話を聞くモードになっていないところに、突然話しかけられるからである。
つまり、バッチこーい状態になっていないのだ。
野球をやったことがある方ならわかるだろう。
守備に付いてバッターが打つのを待っている間、ナインは「バッチこーい!」と叫んでいる。
なんなんだあれは。
守る側は打ってほしくないはずだから、「バッチこないでー!」じゃないのか。
むしろ、「バッチこないでくださいお願いしますぅ……!」くらい低姿勢にお願いするべきではないのか。
そうではないのだろう。
こんな屁理屈を捏ねているようなやつは、野球選手には向いていないのだ。
野球をやるなら、バッチこい状態でないといけない。
人の話を聞くにも、バッチこい状態でないといけない。
でも僕は基本的にはバッチこい状態にはなっていない。
グラウンドの真ん中で坐禅を組んで、目を閉じて、手を胸の前で合わせている。
そこに打球が飛んできて、カッと目を見開いて、ボールに飛びつくことができたら、それはもう少林野球だ。
カンフーベースボールだ。
僕はそんなことはなく、いつも会話という名のボールをころころころころと後ろに逸らしている。
なぜだ。
なぜなのか。
それは、僕が常にこの現実世界にいないからだ。
僕は僕の頭の中の世界にいる。
常にああでもない、こうでもないと空想、想像、妄想の類いの考え事をしているから、体はこの世にあっても頭はどこかに飛んでいってしまっているのである。
道で僕を見かけたら、首なし人間だと思ってもらっていい。
実は首から上はそこにはない。
現実世界から飛び放たれ、宇宙空間を彷徨っていると考えてもらっていい。
だから、話しかけてから戻ってくるまでに時間がかかる。
そういうことだ。
心ここに在らずとはこのことではないか。
みんながなんで突然話しかけられても、普通に会話が始められるのか不思議で仕方がない。
なぜだ。
なぜなのだ。
いや、やっぱりみんなは頭の中で「バッチこーい!」と常に叫んでいるのか?
頭の中のナインが、チーム一丸となって「バッチこーい!」とグラブを構えているのかもしれない。
僕のナイン、どうした。
全員とは言わないまでも、一人くらいしっかりしていたっていいだろう。
何もみんな揃ってグラウンドで寝転がらなくたっていいだろうに。
確かに野球場の芝は、お昼寝には最高に気持ちいいけれども。
まあ、つらつらと書いてきたが、言い訳せずに人の話を聞けという話である。